戦争と子ども ―沖縄戦に学ぶ―
01D058 瀧本ちひろ
■沖縄戦の真実
・ガマの中で…
 沖縄には鍾乳洞が多くあります。沖縄ではそれをガマと呼び、戦争の時には住民や日本兵の避難場所として使われました。そのため、沖縄戦を語る時、ガマは無視して通れない存在です。ガマの歴史は一つ一つ違い、どれも沖縄戦の真実を多く語っています。今回その中の幾つかを載せたいと思います。

@チビチリガマと集団自決
 読谷村の波平地区の住人達が避難していたチビチリガマでは、4月1日の米軍上陸によって、住民達の緊張が高まっていました。そして、翌2日の朝に集団自決が始まります。その発端は当時18歳の少女、春でした。「お母さん、人の手ではなく、お母さんの手で殺して下さい。アメリカーに犯されて死ぬくらいなら、お母さんの手で、きれいなままで殺して下さい。(略)」(参考文献1)そう言って彼女は、母親に包丁を渡しました。ガマには女性、老人と子供が主にいましたが、これをきっかけに多くの母親たちが我が子を殺しました。約140人の避難者のうち、83人が自決。その約6割が18歳以下の子どもでした。春のように自分から死を望む者もいましたが、赤ん坊などは何もわからないままに命を絶たれました。

A幼児処分
 日本兵と住民が共に避難していたガマで起こった事件のひとつです。日本兵にとって、アメリカ兵から逃げているガマの中で、住民は邪魔な存在でした。特に赤ん坊の泣き声は、敵兵に見つかってしまうと言う恐怖心をあおりました。よって、日本兵による幼児虐殺がガマで起こりました。

Bガマ追い出し
 ガマにやって来た日本兵によって、ガマを追い出された住民も沢山いました。その他にも、食料を奪われるなどの例があります。また、アメリカ兵がガマの中の日本兵を攻撃した時に、一緒に住民が殺される場合もありました。

・学童疎開
 沖縄戦の時、日本軍は足手まといになると言う理由から、子どもや老人を九州・台湾などへ疎開させました。当時、約8万人疎開したうち、約7千人が子どもでした。

対馬丸
 昭和19年8月22日。本土へ向けて出発した学童疎開船対馬丸が、米軍の潜水艦によって魚雷攻撃されました。船は沈没しました。乗員1661人のうち800人が子どもで、そのうち生き残ったのはわずか59人でした。(参考文献2)

・戦場動員
 この問題について知っている人は多いと思います。沖縄戦では、本来なら18歳以下で、徴兵・動因義務のないはずの子どもたちも動員されました。ここで詳しくは書きませんが、例として、ひめゆり学徒隊、鉄血勤皇隊などがあります。まわりの大人と変わらない扱いを受け、そのおおくが戦場で死にました。

■皇民化教育
・沖縄と皇民化教育
 14世紀以来、琉球王国として栄えた現在の沖縄は、1609年薩摩藩によって征服されました。その後1879年に廃藩置県によって沖縄県になりました。その時、天皇中央集権国家になり、初めて沖縄県民は天皇の存在を知ります。そのため、明治政府は沖縄を日本化するために皇民化教育を徹底しました。沖縄戦が始まる前に、こういった政策があり、沖縄県民は内面から変革されていた事が背景にありました。

・教育の現場で…
 国民学校(小学校)では、朝礼の時、東京(天皇にいる方向)に向かって生徒・先生全員が礼をします。この時、腰は45度と決められています。また、校門の近くには御真影(天皇・皇后の写真)と教育勅語(天皇の言葉)が安置された「奉安殿」がありました。生徒は登下校時、奉安殿に向かって礼をするよう教育されていました。国家の祝祭日には校長が教育勅語を読み、生徒は腰45度の状態でそれを聞きました。こういった教育の中で、子どもたちは天皇中心の考えを植え付けられていきました。

・デマ
 戦争当時、沖縄県民たちは「生きて虜囚の辱めを受けず、死して罪過の汚名を残すことなかれ」という考え方を植え付けられました。それに、アメリカ兵を鬼畜米英とし、「アメリカーに捕まると、男は殺され、女は犯される。」と言うデマが流れました。皇民化教育の影響もあって、アメリカ兵に捕まることを恐れる人々が多かったし、デマについても疑う人はいませんでした。だから、チビチリガマの例のように、敵に犯されるくらいならと我が子の命を絶った親も多くいました。また、日本兵から渡されていた手榴弾で自決した家族もありました。

※ 報告集にある「日本軍による住民犠牲」という資料は省略しました。

■現代の戦場で…
 20世紀後半、全世界で子ども兵士は増えています。ユニセフの資料によると、約30万人の子ども兵士が出ています。(アフガンで戦争が始まる前)また、犠牲は子ども兵士だけでなく、戦場では多くの子どもが死んでいます。現在までの10年間で、世界中の紛争の中、推定200万人の子どもが犠牲になっています。この数字は戦闘で死んだ兵士の数を上回っています。(参考文献3)

■感想
 今回、取り上げなかった例がまだまだあります。私は戦争で一番、犠牲になるのは子どもだと思っています。自分で考える力の少ない、洗脳しやすい子どもを、教育を武器に洗脳した事実。これを学んだ時、怒りを感じるとともに、教育の影響力の強さを感じました。また、日本が沖縄を捨石として使った事実も、感じられました。日本軍の時間稼ぎの中で、沖縄県民たちの命は軽視され、犠牲になりました。今、生き残った方々が、当時の経験を語りだして下さいます。私は、ひめゆり平和祈念館や、伊江島の謝花さんに聞いた話が忘れられません。チビチリガマの事実も、戦後何年も経ってから語られた話です。辛い過去を語ってくれる人がいます。だから私は、これから大人として教育にかかわっていく一人として、多くを学び取り、活かしていきたいと思っています。

■課題
・現代の戦争教育
 学校教育の現場での戦争教育の現状を調べたい。また、絵本などでの戦争教育のあり方を考えたいです。真実をどのように伝えるか(教科書にどのように載せるかなど)問題が沢山あると思います。

・子どもの権利条約
 子どもの権利について、考えてみたいと思います。

・現代の沖縄
 沖縄の独特な雰囲気が好きな私。今回、プロゼミで行ってから、沖縄での教育について考えたいと思っています。特に、公民館に興味があります。

<<参考文献>>
  1.チビチリガマから世界へ平和の祈りを
       チビチリガマ遺族会 発行
  2.平和への証言
       沖縄県立平和祈念資料館ガイドブック
  3.ニュース23 多事争論
       2001.11.14 「子ども兵士」
  4.ガマに刻まれた沖縄戦
       上羽修 写真・文 草の根出版社
  5.シリーズ知っておきたい 沖縄
       歴史教育者協議会編集 青木書店
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