和光大学 2018年度 大学案内
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社会で活躍する卒業生竹澤 汀さん 1年次の秋から音楽の仕事を始めたので、大学時代は忙しい日々の連続でした。大学に行った後に仕事へ行って、夜中はスタジオで個人練習をして、始発に乗って朝から授業を受けに行くというときもありました。3年次のとき、このままだと仕事も大学も中途半端になってしまう気がして中退も考えたほど。でも、和光の魅力はすごくわかっていましたし、先生や仲間の助言もあって、半年間休学した後、復学しました。 和光に入って「勉強」に対する考えや観念が覆されたんです。「あ、こういうことも勉強といっていいんだ」という気づきがありました。たとえば、先生も学生も英語しか使わないという授業。先生は「英語はコミュニケーションの手段にすぎないから、誰でもできるようになるんだ」と言って、できる人もできない人も分け隔てなく、英会話をさせるんです。間違ってもいいし、むしろトライすることを評価してくれる。高校までの英語学習とは全然違い、おかげでいま外国の方とのコミュニケーションを楽しめるようになりました。 言葉にすることの大切さを改めて発見したことです。歌を作っていく中で、言葉にするという作業にプレッシャーを感じたり、行き詰まってしまうことがありました。そんな時、言葉を使わない芸術表現にふれると、自由さを感じたり、救われたような気持ちになれたのです。その一方で、作家の人たちが作品について言葉を使い、伝えるということを怠らないという姿勢も知りました。この発見は私自身の創作活動に生きてくると思います。 和光はとにかく自由です。だから自分を律することが必要です。そういうクセがつけば、自分で自由をうまく取り扱えるようになれると思います。また、勉強嫌いな人ほど来てほしい。学ぶ楽しさを発見できるはずです。フリーランス2014年 表現学部 芸術学科 卒業シンガーソングライター大学時代はどんな生活でしたか?和光の魅力、どのへんにありましたか?和光で学んで良かったことは?高校生に向けてメッセージを。田邊 伸明さん 入学後、母校のサッカー部のOBに中学のサッカー部のコーチを命じられました。正直イヤイヤ始めたのですが、続けるうちにおもしろくなってしまったのです。指導したことをすぐできる子もいれば、できない子もいます。どういう言い方、やり方がいいかを考えることが楽しかったんです。広義で言えば教育のおもしろさに気づいたんです。海外のサッカー指導を勉強しようと思い、イギリスまで講習を受けに行くほどのめり込みました。また、その際、ヨーロッパ各国のサッカーを見て回りました。そのとき、宗教の違い、民族の対立など、サッカーの背景にはさまざまなストーリーがあることを肌で感じたのです。その奥深さを知り、大学で世界史の授業を学んだりしました。 卒業後、就職したのはスポーツイベントの運営会社です。主にゴルフトーナメントを運営する会社でしたが、サッカーのトヨタカップやゼロックススーパーカップの仕事もあったのに惹かれて入社しました。1992年にはJリーグが始まり、サッカー業務が劇的に増え、そこからはサッカー1本。マネジメントやエージェント業務を始めたのは、北澤豪選手との出会いが大きいです。彼が読売クラブに移籍してきた頃からの付き合いで、私は彼のマネジメントに携わりました。彼のサッカー人生を伴走するうちに、彼の選手としての転機や苦悩も目の当たりにし、選手の契約に関わる必要を感じました。それで1999年にエージェント・ライセンスを取得したのです。以来、多くの選手の契約や財務管理、国内外の移籍交渉に携わっています。 これからも何でも選手の言うとおりにやってあげるのではなく、めざす目標を一緒に達成する存在でありたいと思っています。ただ、私がこの仕事をやっている理由は、選手個人のためだけではなく、日本のサッカーを強くするためです。そのためにサッカー産業を大きく育てるにはどうするべきか、日本のサッカーのために何ができるか、常に考え、行動していくと思います。株式会社JEB ENTERTAINMENT 代表取締役1988年 経済学部 経済学科(現・経済経営学部 経済学科) 卒業サッカー・エージェント 和光ではどんな生活を送っていましたか? サッカーを仕事にするようになったきっかけは?エージェントとしてめざすものは?竹澤さんの卒業制作作品思い出深いゼミ室で半田先生と再会089

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