
演劇研究のため一年間の予定でイギリスのロンドンに滞在しています。
イギリスでの生活のあれこれ、また、最新のイギリス演劇についての情報・
批評などを、このページでみなさんにお伝えしたいと思います。
| 2002年3月15日 3月も半ばを過ぎ、そろそろ帰り支度をする時期になってしまった。雨の日が多く、底冷えのする毎日が続く。 スーザンの友人、ダフニとラッセル夫妻が昼食に招いてくれたので出かけることになった。ご主人ラッセルは最近「The Dynamics of Property Location」という本を出版した経済学者である。 彼らの家はセント・オーバンというロンドン郊外の美しい住宅街にあり、大寺院が町を見下ろしてそびえ、ロンドンまで電車で40分の通勤範囲にある町である。 久しぶりの青空の下で、杏の花が美しく、桜の花を思わせるピンク色が町をおおっている。水仙も美しい。 一日一日と日が長くなり、これからがイギリスの最も美しい季節になるわけだ。 ラッセルは癌で余命一、二年と言われているが、大学での講義、本の出版、中国への旅と、治療の合間をぬって精力的に活動している。 この数年ですっかりやせてしまった彼だが、ケンブリッジ・オクスフォード・ボート・レースでのケンブリッジ側優勝記念として贈られたボートのオールが戸口に飾られ、若き日の活躍を物語る。 奥さん手作りのおいしい昼食の間に、田中真紀子前外相の更迭問題が話題に上り、やがてイギリスの労働党政権の弱点に話題が移ったが、先日のようなスーザンとの間での激論にならず、皆ほっとする。 労働党政権も二期目に入って、医療、教育、交通機関等の行きづまりが取りざたされているが、一方、国内の混乱をよそに昨年九月のテロ事件以来、ブレア首相が海外に出ていることが多く、外相の出番が少ないと皮肉られるほどだ。 日曜日のテレビ番組で、ローリー・ブレムナーを中心とする三人組の政治風刺ものまね50分番組があり、大変な人気である。 ブレア首相は一言一言手を動かしながら、言葉を句切って明確に話すくせが全くそっくりで、先週はインタビュー場面で、「あなたの政治哲学は?」との問いに、「えっ、哲学って?」と聞き返し、「つまり、この国はどこへ向かっているか、あるいはどこへ行こうとしているのか、ですよ」、「僕はオーストラリアに行こうとしているんだ」というやりとりで、方向性を持たない政府を皮肉る。 ブッシュの歩き方や演説もそっくりで、日本について「エンペラー広島」と語って笑わせる。両首脳の電話会談では、二人の思惑が食い違って、大いに笑わせるが、最後はミュージカルとなって締めくくられる。「世界を飛び回るのが、若いときからの夢だった。ジョージ、手に手を取って一緒に行こう」と、渋い顔のブッシュを誘っているのは笑顔のブレア首相である。 九月以来、法改正等、軍国主義の足音を聞くようで恐怖感を抱くことが多かったが、この番組のように批判精神が生き続ける限り、この国の未来も大丈夫と言えるかもしれない。 |
2002年1月1日12月23日(日曜日)、早朝の寒さで、すっかり霜におおわれたスーザンの車に乗り、ロンドンを出発、コーンウェルに向かう。バックシートにはバスケットに入れられた猫三匹、クリスマスの食料、寒さに備えて厚手のコートが詰め込まれた。 クリスマス休暇の車の混雑が予想されたが、金曜・土曜に地方に出かけた人が多いせいか、比較的スムースに六時間半の旅で、ペンディーンに到着。スーザンの夫デヴィドと犬のエリカが玄関に待ちかまえる。 暖炉の火が赤々と燃え、田舎ならではの味わいである。夕食後、スーザンはさっそくクリスマス・ツリーを飾りつけ、キャンドルや花を置いて、すっかりクリスマス準備が整った。 24日、暮れかけてペンザンスの町を散歩。都会的な美しい町で、クリスマス・デコレーションの電気の飾りつけが、道路を横切っていくつもつけられており、宙に浮いた天使や星が町を飾る。 ペンザンスから20分のドライヴでマウズルホールに向かう。コーンウェルで最も美しい場所と言われるこの村は、曲がりくねった坂の多い小さな村だが、入江に電気の飾りつけをたくさん並べ、クリスマスの名所となっている。 色とりどりのヨット、クリスマス・ツリー、しおを吹く鯨、サンタクロース、城、花々の電飾が入江に点滅する。 見物人が多く、車の駐車が難しく、かなりの距離を歩くことになった。寒さが予想されたが、海からの風もそれほど強くなく、おだやかな冬の海が広がる。家族連れでにぎわうパブで一休みして家に戻った。 25日、クリスマスの伝統的料理、ターキー、ソーセージ、ベーコンと野菜、クリスマス・プディング(レーズン等ドライ・フルーツの入った柔らかいフルーツ・ケーキにクリームをかけて食べる)のランチの後、クリスマス・ツリーの下に置かれたプレゼントを一人一人開けて楽しむ。 プレゼント選びと色装に人々は三ヶ月もかけるといわれるが、プレゼントもなかなか凝っていて色装やリボンも美しい。スーザンやデヴィドからのさまざまなプレゼントやスーザンの友人から私に届いている贈り物もこの日までは開けてはいけないことになっているので、一つ一つ開けては送り主の趣向に感心したり、驚いたり。 午後3時、恒例のエリザベス女王のクリスマス・スピーチがテレビに流れる。今年一年を振り返って、9月のテロ事件にも触れ、人々が希望を持って不幸から立ち直るように、また、来る年がよい年であるようにというメッセージだ。10年ほど前には正装して豪華なアクセサリーをつけ、いかにも女王然としていた彼女も、今年は飾りのない質素な紺のワンピースに真珠のネックレスというスタイルである。 かつては宮殿の美しい今が映し出されたものだが、今回はどこの家でもありそうな、スタンドを置いたテーブルのそばに立ってのスピーチである。国民に親近感を持たせる努力の表れの一つであるようだ。 26日、ボクシング・デー。この日は会社、郵便局、店とも皆休みで閉まってしまう日である。スーザンの友人夫妻のランチに招かれる。クリスマス・ツリーの美しく飾られた、暖炉の火の燃える食堂で小エビのカクテルに始まって、ボクシング・デー恒例のポーク料理をアップル・ソースでご馳走になる。デザートのクリスマス・プディング、トライフルが大変おいしい。 この村の牧師アランが料理上手で、特にケーキは抜群であるとか、こんな小さな村にも、レズビアンを公表するカップルがいるとかが、村のうわさ話として出てくる。トムは好人物、奥さんは慈善事業として老人に手料理を届ける役目をしているそうだ。 28日、うわさのアラン牧師が朝やって来て、昼食の招待を受ける。100年前の大きな牧師館の食卓に、アラン牧師手作りのおいしい料理が並ぶ。特にスープ、これも手作りのパン、パテ、フルーツ・サラダは抜群。 暮れかけた野原に犬のエリカを連れて散歩。くもり空だが静かな海が広がっている。 29日、ペンザンスの海沿いのホテルで夕食。クリスマスの飾りつけがなかなかに凝っていて見事である。マネージャーに「なかなかいい飾りつけですね」とほめると、「今年は全く暗い話ばかり。少しは明るい気分になるようにずいぶん工夫して時間をかけたけれど、気づいてくれてうれしい」とのこと。この国の人々も戦争騒ぎにかなり滅入っているようだ。 30日、十二名の客が夕食にやって来ることになっているので、スーザンは大忙し。元軍人のクリス、イタリーで英語教師をしているトルディー、トム夫妻、アラン牧師等の人々が7時半から次々にやってくる。 話が弾んで客が帰ったのは11時半。楽しいパーティだった。 31日、12時にシャンパンを開けて乾杯。来る年の幸せを祈る。スーザンは十項目に渡る今年の決意を紙に書いてテーブルの上に載せている。 三つくらいまではいいけれど、十にもなると実行が伴わなくなると言うと、今年は「変化の年」にしたいから欲張ったと言う。バイタリティーのある彼女ならではの欲張った願いのようだ。 戦いのないよい年になりますように。 |
| 2001年12月7日 日本の皇太子ご夫妻の女児誕生のニュースに関連して、「日本は女帝を認めない唯一の近代国家」とタイムズ紙は言及。日本の祝賀ムードを紹介した上で、「伝統にこだわる人の間では女帝は依然として歓迎されない風潮がある」と指摘。 一方で皇室典範見直しへの積極的な意見もあると紹介。イギリスでは、エリザベス一世(在位1558-1603)、ヴィクトリア女王(在位1837-1901)、現エリザベス女王(在位1952-)と女王の時代に国が栄えるという言い伝えがあり、日本の女帝問題はかなり興味を持って受け取られている。愛子様という名は「他人を愛する人という意味がある」と伝えている。 この際、平和なニュースとして歓迎され、タイムズ紙でもご夫妻の大きな写真を載せて大見出しの報道である。 このところ朝晩の冷え込みはあるものの、例年より雨が少なく穏やかな日が続いており、家の近くの森の中のCafeも、庭に出したテーブルに座って談笑する人が多い。 この店の名がOsho-Basho(和尚-芭蕉)。インドで仏教に影響を受けた彫刻家、Oshoと名のる人物が店のオーナーの友人で、オーナーに芭蕉という名を与えたということで、Oshoの描いた古池と蛙の絵が壁に掛けられている。 9月11日のテロ事件以来、Bashoは毎週水曜の夕方、地元の人々を集めて、ローソクを立てて鎮魂の儀式を続けており、Cafeの売り上げの何パーセントかを犠牲者に基金として送っているとのことである。 小さな平和運動である。あまり、数は多くないものの、「Stop the War」の貼り紙が風にはためいているのが、時々街角に見うけられる。 |
| 2001年12月3日 英国の権威ある辞書、コリンズ・イングリッシュ・ディクショナリーの12月3日発行の新刊に、新たに八つの日本語が追加された。 「Ramen(ラーメン)」「Bento(弁当)」に始まって、「外人」「パチンコ」「霊気」「わさび」「そば」「うどん」。これで日本語は120語となった。 新聞・雑誌・ラジオなどから使用頻度の高いものを選んだという。「寿司」はすでにおなじみのものだが、都心の大手デパート、セルクリッジの回転寿司はいつも席が取れないほどの繁盛ぶり。健康食としても人気が高い。大手スーパー、マークス・アンド・スペンサーでも、プラスチック箱に入ったいささか怪しげな大阪寿司がけっこう売れている。 |
| 2001年11月30日 元ビートルズのジョージ・ハリソン(58)のロサンゼルスでの死去が報道された。BBCは予定プログラムを変更、ギターをかかえて歌う、若き日の彼の映像を流し続けた。 王室報道機関も女王が深い悲しみを伝えられたと報道、ブレア首相も「我々はビートルズとともに育った。彼は偉大な音楽家」とコメントを出した。 そういえば、ブレア首相の60年代の長髪姿の写真を思い出させられる。反戦主義の若者が、今や先頭に立って戦争を指揮しているのも皮肉な時代の流れである。 |
| 2001年11月18日 アフガニスタンへの軍事攻撃中止を求めるデモが行われ、主催者側によると70年代以降、国内最大の10万人が参加(警察発表では1万5千人)。「軍事攻撃は何も解決しない」「無実の子供を殺すな」と叫びながら、ハイドパークからトラファルガー広場までを行進した。 政府は非常事態の中で、テロ容疑の外国人を裁判なしで無期限拘束できる法案を検討中。政府の人権無視の右より政策に批判の声もあがっている。来週中に通過の見込みとのことで、国会で働くスーザンの仕事終了時間は連日夜中の12時以後とのこと。 政治家は誰一人としてまともな英語を話す人はいなくなったと彼女は嘆く。英語の乱れはひどいもので、スピーチの内容もお粗末、一日の動きをまとめる編集者の彼女は頭が痛いとのこと。日本の現状を思い出させられる。 昨日はブレア首相が「tomorrow」をあちこちで「0」の一つ多い、「toomorrow」と書いていることがニュースで取り上げられたが、明日にかける「New Labour Government」も困ったものである。 |
| 2001年11月15日 ロンドンの目抜き通り、リージェント・ストリートのクリスマスの電光デコレーションにいっせいに光がともった。点灯式は若手オペラ歌手ラッセル・ワトソンが少年少女合唱団と賛美歌を歌い、いよいよクリスマス近しの気分である。 11月にしては珍しく暖かな日が多く、まだコートもいらないくらいだが、クリスマス準備に人々は忙しく、家の近くのマズウェル・ヒル商店街も買い物客でにぎわっている。クリスマス・カードやクリスマス用包装紙をかかえて歩いている人を多く見かける。 日頃あまり会うことのない親戚や友人にも、プレゼントを買い、包装して送るので、時間のない働く女性たちにとってけっこう負担になっているようだ。 郵便配達、牛乳屋さん、ゴミ屋さんにも、クリスマスはかなり多額のチップが払われる。 特に土曜日はどこの商店街も人手が多く、大きな買い物袋を下げて歩き回る人が多い。 順調だったロンドンの経済も9月以降は陰りが見えており、クリスマス・シーズンの消費状況に期待が寄せられており、リビングストン市長も、ウェスト・エンドでの買い物を奨励、無料観劇券の配布を約束している。 |
| 2001年11月6日 テロの心配もあって、今年は花火の自粛を求める声明も出されたが、暗いニュースばかりの日々、人々は花火を大いに楽しんだようだ。 結局、土・日・月の三日間、花火の音が絶えなかったが、家の猫たちは爆発音に恐れをなして、ソファの下に小さくなっていて、外に出る勇気も失せてしまったようだ。 ガーディアン紙の世論調査によると、英米両軍によるアフガニスタン攻撃を「支持する」人は62%で、二週間前に比べ、12%低下。アフガン国内に食料や援助物資を運ぶため「空爆を一時停止すべき」とする人は54%。この空爆支持率低下は女性と65歳以上の人々に特に顕著だという。近くの古本屋のウィンドウに「Stop The War」の大きなはり紙があり、人目を引く。 長年テロに悩まされてきた国だけあって、テロ対策は徹底している。以前は新聞紙や空き瓶で散らかっていた地下鉄ホームも、今やゴミ一つ身逃さない徹底した清掃ぶりである。 ホームや改札口に職員の姿を見るのはまれで安全性の危ぶまれていた状況も一転して、制服姿の係員があちこちに立ち、目を光らせている。 即座のこの対応に、軍国主義の足音を聞くようで、恐いものを感じる。 11月11日の戦没者を追悼するMemorial Dayには女王を迎えて、軍人たちによる盛大な儀式がホワイトホールで行われるが、11月にはこの式典に向けてポピーの造花が町で売られ、これを胸につける人が多い。以前はいささか右寄りの人々のものとされたこのポピーも、この四、五年たいへん普及しており、イギリス人としてのアイデンティティを求める姿を見る人もいるが、社会が右寄りに動いている印と見ることもできるかもしれない。 ブランケット内相は難民申請者に対し、顔写真と指紋を照会できるIDカード携帯を義務づける考えを表明している。在留外国人の監視強化の一環である。年間10万人ともいわれる難民の殺到に悩まされている労働党政権が、この機に乗じて移民排除の制度改革に乗り出したものと見られる。これに対して、人権団体から批判の声が挙がっている。 一方、高い税金を払わされている一般市民の中には、将来の保証が危うくなっているのに、難民のための住宅建築に自分たちの税金が回っていることに疑問を感じている人も多く、私の周りでもそれに対する不満と不安の声がよく聞かれる。 |
| 2001年11月5日 11月5日はGuy Fawkes捕縛記念日だが、週末の3日、4日にあちこちでbontire(祝いの大がかりな火)と花火が打ち上げられた。 11月3日土曜日、スーザンの関係するチャリティー団体主催のbontireの集いに出かけることになった。ロンドンから40分、野原の真ん中に立つ19世紀末の建物の庭で恒例のGuy Fawkesの人形を燃やす大がかりなかがり火と花火が打ち上げられた。 晴れ渡った美しい夕べで、ロンドンより気温は低いものの、過ごしやすい温度だ。40人ほどの少人数のパーティで、花火が終わると庭の炭火で焼いたソーセージや野菜が出され、建物の中で景品を当てるくじ引きが行われた。これもこの日の伝統的な遊びだそうだ。 紹介されたウィーン大学英文学の女性教授もこのパーティのために前日ロンドンにやってきたとのことで、今回初めてGuy Fawkesの祭りを見たが、とてもおもしろかったと嬉しげに話していた。 ロンドンでもあちこちで花火が上がっており、いつも人通りの少ない我が家のあたりもグループを作って歩く若者たちの姿が目立ち、祭りを楽しんでいるようだ。 1605年、国会議事堂を爆破して国王ジェームス一世や国会議員全員を殺害しようとしたカトリック教徒Guy Fawkesと一味の計画は事前に発覚し、失敗に終わった。一味は全員死刑になり、さらし首にされたが、この日は爆破を事前に防ぎ、国を守った祝いの日となったわけだ。時の王ジェームス一世は、当時としては珍しいことだが、Guy Fawkesに直接会って、なぜ自分を殺そうとしたのかと尋ねたところ、彼の答えは「王の腐敗堕落」であり、おかげで彼は死刑になるまでの間、ひどい拷問を受けることになる。彼の二つのサインが残っており、一つは逮捕直後のしっかりした字体のものであり、もう一つは死刑直前のほとんど字とは思えないような形のものである。拷問のひどさを物語るものだ。彼は死刑台にも支えなしでは昇れなかったという。17世紀の残酷な歴史の一コマである。 |
| 2001年10月18日 7日夜、英国の支援を受けて米軍のアフガニスタン国内の軍事施設とテロリスト訓練キャンプへの攻撃が開始された。アメリカでの同時多発テロから約一ヶ月である。「米国は無実のアフガニスタン国民を攻撃する権利はない」「愚かな軍国主義に英国が荷担することには大いなる疑問を感じる」といった、英国の軍事攻撃参加への反対の声が上がっており、緑の党も「軍事行動はさらなるテロ行為を誘発するだけだ」との声明を発表、攻撃の即時停止を呼びかけている。 ブレア首相は200人の自国民の被害が報復戦争の根拠であると一貫して強調する。しかし、EU議長国ベルギーの外相も、ブレア首相のテロ事件への発言は「行き過ぎで、後味が悪い」として「他のEU加盟国の世論は分かれていて、我々はブッシュ大統領やブレア首相ににやみくもに従うことはない」と語って、公然とブレア首相を批判している。 ロンドンで二万人の反戦デモが行われる中、一方では、テロリストの疑いのある人物を裁判なしで長期間拘束できる、テロ対策法案が来月国会に提出される。その他、インターネットのプロバイダーに顧客の交信記録保存の義務づけ、金融機関への顧客取引開示の命令などが盛り込まれる。 ブッシュ大統領に同調する好戦的なブレア首相の市井も、実は長年北アイルランドの政治組織への対応に手こずってきた首相の本音を示すものなのかもしれない。 アフガニスタンに不法入国したとして、11日間タリバンに身柄拘束されていたサンデー・エキスプレス紙のイギリス人女性記者が解放され、その手記が同士に掲載された。タリバン兵たちの規律正しさ、礼儀正しさ、親切でその上ハンサムであると語られている。 この国の女性たちの間には、隠れたウサマ・ビン・ラディン人気がある。「彼が部屋に入ってきたら、歓迎して迎えてしまうだろう。その後で警察に通報するかもしれないけれど。自分の女友達も皆同様だ」とある女性記者は本音を語る。 西側の政治家の身勝手で心のこもらぬスピーチを聞くにつけ、沈黙している静かなビン・ラディンの映像は、奇妙にも女性たちの心をつかんでいるようだ。 イギリス人作家、V.S.ナイポール氏(69)がノーベル文学賞受賞。明るいニュースだ。西インド諸島生まれのインド系三世。植民地社会を舞台にしたコミカルな作品が高く評価された。 |
2001年10月15日10月8日早朝、ロンドンを発ち、ベニスに向かう。私の10月10日の誕生日をベニスで祝おうと、スーザンが企画したものだが、7日夜、アフガニスタンへの空爆が開始され、いささかこういう時期に旅行に出かけるのははばかられるが、二ヶ月前に予約したものなので、二人とも暗い気持ちで家を出ることになった。 一時間半で16世紀建築のホテルで、中は薄暗いが、なかなか趣のある内装である。 まずホテルのレストランで食事。町に繰り出す。この時期にしては、たいへん暖かいとのこと。日ざしが強く、真夏のようだ。水が日ざしを受けて輝き、建物が水に映って揺れ動く。実に美しい町だ。 サン・マルコ広場も日ざしの中で生き生きと輝く。なんと生命力に満ちた都市であろう。イギリスにはいなくなったと言われるスズメが飛び回る。 運河沿いのカフェでコーヒーとケーキ。足下を水が流れ、船が行き交う。 翌日、ブラノ島に渡る。レースで有名なこの島は、積み木のように様々な色の小さな家が並び、レースを売る店が軒を連ねる。葬列がゆっくりと店の前を通り抜ける。人々は道の脇に寄ってこれを見送る。ここではすべての時間がゆったりと流れてゆく。夕方、一時間半の船旅でベニスに戻る。 次の日はガラス製造で有名なミュラノ島に出かける。 狭い運河をはさんで、両岸に小さな家が並び、ガラス製品の店々が並ぶ。美しいガラス細工の皿、置時計、人形などが並べられ、様々な色彩が目に飛び込んでくる。 運河沿いのカフェで昼食。レモン・アイスクリームがおいしい。置時計、飾り皿を買う。 夕方、午後にやってきたシーラと三人でリアルト橋近くのレストランに出かけ、おいしい魚料理を食べる。ソースが抜群である。 翌日、グッゲンハイム美術館を訪れる。若きポール・クレイ、ピカソ、マルグリット、エルンストの絵を見る。窓からは対岸の建物が日の光を受けてまぶしい。水の流れを見ることが多いためか、建物が揺れているような錯覚を覚える。 夜、サン・マルコ広場に出かける。レストラン前に設置されたステージからヴィヴァルディーが流れる。美しい夜空を背景にサン・マルコ寺院の白い建物が照明を受けて浮き上がる。 翌朝、ゴンドラに乗る。黒の帽子に水色リボンをなびかせた若い少年ゴンドリエの案内で運河を下る。ピンク色のモーツァルトの家、茶色レンガ造りのゲーテの家を通過、両眼の景色は次々と変わり、いくつもの橋の下を通り抜ける。 ぬけるような青い空。水のきらめき。この土地が多くの芸術家にインスピレーションを与えたことが十分理解できる。 すべてのものが生命力にあふれ、喜びに満ちているように見える。暖かで日ざしの強い気候のせいだろうか、暗い面が見えない。水面のきらめきのように、すべてが輝いて見える。 すっかり戦争を忘れさせる旅だ。英字新聞は一日遅れのものしか手に入らず、昨日の出来事を知るしかできない。 一時間半の旅で、ロンドン・スンスタッド空港に着く。雨と寒さが待ち受けるものと思ったが、気温も高く、過ごしやすい夜だ。 猫が玄関先に迎えに出る。やっとイギリスの現実に戻ったことを実感する。 |
| 2001年10月2日 ヨーロッパ諸国が参戦に躊躇を示し始めている中、ブレア首相はアメリカ軍援助の姿勢を打ち出しているので、ロンドン市民は戦争に巻き込まれることをひどく心配している。 IDカード所持の義務化、電話盗聴の公認、逮捕権拡大などがテロ対策として国会に提出されようとしており、町には増員された警官やパトカーの姿が目立ち、市内は騒然とした状態が続いている。 化学兵器に備えるガスマスクが一万円で売り出され、在庫が底をついたとのことである。サリンが化学兵器として可能性があるため、オウムの事件が再び報道され、オウムはその後どうなったのかと聞かれることが多い。オウム事件はこの国でもかなり衝撃的なニュースとして受け取られたようだ。 騒然たるロンドンを後にして、9月23日、ユーストン駅から四時間半の旅でウィンダミアに向かう。車内にアラブ人少女が無言で片隅に座り、神経質にあたりを見回している。あちこちでイスラム教徒への暴力事件が起きている中、彼らの緊張も無理からぬことだ。 ロンドンのように人種の入り混じった大都市では、テロ事件以後の問題が複雑だ。スーザンが車の修理をいつも頼む店の経営者がイスラム教徒だが、出てきた家族がいつもとまったく違って警戒的態度だったそうで、大変仲良くしてきたのにと残念がっている。家の近くのイスラム教との雑貨屋さんも、攻撃を恐れて店を閉めたままだ。 イギリスに長年住み、まじめに働いてきた彼らにとって、今回の事件は大きな障害になってしまった。 午後3時半、ウィンダミアの小さな駅に到着。湖が午後の光をまぶしく反射する見晴らしのよいホテルに向かう。 この地方は刊行と羊毛に頼っている場所だが、口蹄疫で観光客が激減、羊毛産業も見通しが暗い中、テロ事件以後、外国からの観光客が途絶えて、経済的には大打撃のようだ。観光地のため物価が高く、家を買うことができないので、若い人は皆他の土地に移ってしまうのだそうで、ここで働いている人の多くは地元の人ではなく、外の土地から来た人が多いとのことだ。 観光地だけあってタクシーに乗っても、レストランに入っても人々がなかなか社交的で、現状の暗い話を笑いを交えて解説してくれる。田舎の方が他人への警戒心がなくて開放的だ。レストランで頼んだものはなかなか出てこないが、のんびりしていてユーモラスな人々だ。 午後8時からウィンダミアの劇場でエイクボーン氏のトークがあり、これを聞くことにする。9月11日の事件を作家としてどのようにとらえているのかの質問が聴衆からあった。 五千人の人の死を作品に描くことはできないが、自分が書くとしたら、ある男が仕事に出かけて、そのまま帰ってこなかった話になるだろう。あくまで人間的レベルで、一人の人間のストーリーとして書くことしかできないと話す。 あまりにも否定的な事件であり、作家にできることは肯定的な創作活動をすること、劇場に来た人々が「人生は生きるに値する」という思いを抱いて帰れるようにすること、否定的なものに対決するには肯定的な態度を持ち続けること、それしかないという答えであった。 最初の結婚の失敗、作家としてスタートした時の緊張、子供の時、母に連れられて出かけたエリート女性たちの集まりで女性のエネルギーに圧倒された思い出等、独特な語り口で朝私有を飽きさせない。 再会のあいさつをし、昨日出版されたばかりの『伝記』にサインをもらって劇場を後にした。 このあたりはイギリスで最も美しい場所といわれ、山々と湖、牧場、紅葉の始まりかけた木々は大変美しく、息をのむばかりである。 ワーズワース、コールリッジ、カーライルを生んだ土地だが、湖やそれを取り囲む山々がなだらか曲線を描いており、スコットランドのような、人を寄せ付けない厳しさはなく、やさしく人を包み込んでくれる風景である。ロマン主義がここで生まれ育ったことが、よく理解できる。 ワーズワースの家「ダヴ・コテージ」を訪れた。入口は人一人通るのがやっとの木戸で、どの部屋も間取りが小さく、各部屋に70センチ四方の小さな窓があるだけで、その薄暗さと狭さには驚かされる。彼の使ったベッド、戸棚、詞に出てくるカッコー時代等が、当時のままの場所に保存されている。 「水仙」「霊魂不滅の頌」「カッコーに寄せて」はここで書かれたわけだが、それを思うと感慨深い。 ここに移り住んだ時は、すでに功成り名遂げて、詩人としての地位を確立していたわけだが、「質素な生活と高潔な精神」を理想とする彼は、井戸の掃除や木を切ったり、土を掘り起こして草木を植えたりという日常的な作業をこなし、その間に創作活動をしたという。 食事の一日のうち二食はオートミールだけという質素な生活ぶりだったという。 二人目の子供が生まれ、家族が増えたこと、訪問客が絶えないことから、この家も遂に手狭となって、不承不承彼はここを去ることになるが、彼はここに住んだ九年間は彼の詩作の最も充実した時期であった。 ウォルター・スコット、チャールズ・ラム、ウィリアム・ハズリットなどの友人たちがしばしばここを訪れ、ある時は、コールリッジが夜中にやってきて、夜明けまで話し込んだという逸話を思い出させられる。 歩くときしんで音を立てる板張りの床を歩くと、月明かりの中で談笑する彼らの声が聞こえてくるような錯覚を覚える。 ビアトリクス・ポターの家「ヒル・トップ」を訪れる。ここも「ダヴ・コテージ」同様天井の低い薄暗い家だ。 彼女の最初の絵本がベスト・セラーになった年に、彼女は最愛の婚約者を失う。しかし、この美しい田園を愛した彼女は、本の印税でこの近くの農場を次々と買い入れ、有能な管理者となってゆく。やがて彼女は地元の弁護士と幸せな結婚をするが、夫の協力もあって、地元産の羊の飼育に力を入れ、土地開発業者の手による土地の分割化を防ぐ運動に参加する。死後はその莫大な財産をすべてナショナル・トラストに残している。 彼女の絵本のさし絵のすべてが、この村や、「ヒル・トップ」の家を写し取ったもので、可愛いウサギや猫、ネズミの絵の背景がすべて現実の家の廊下や村の小道であるのには驚かされる。小道をやって来るピーター・ラビットとばったり出くわしそうだ。 姪たちに彼女のさし絵月の日記帳を買って、早速送ることにする。 ロンドンに向かう帰りの列車で、乗り込んできた背の高いスマート女性が月曜(10月1日)にU.N.の仕事でアフガニスタンに食料を届けに行くと話していた。 帰宅後に月曜のニュースで、テロ事件以後初めての難民への食料がアフガニスタンに届いたという情報が流れた。列車で出会った女性が一役買って、この仕事をうまく達成できたわけで、このニュースを嬉しく聞いた。 |
| 2001年9月14日 11日午後、列車時刻を調べに立ち寄った旅行社の小さなテレビ画面で、ニューヨーク貿易センタービルとワシントン国務省ビル等へのテロ事件を知った。店員も気もそぞろで、奥のテレビのない部屋に情報を伝えに走る。「自分の身にいつ起こらないでもないことで怖い」と店員の一人はショックを語る。 通りでは、パトカーがサイレンを鳴らして猛スピードで走り、街角の警官の数も増えていて不穏な雰囲気だ。 急いで家に帰り、テレビのスイッチを入れる。SF映画の画面としか思われない、二つの超高層ビルの倒壊してゆく映像がくり返し映し出される。現代文明の象徴とも言える、そそり立つ二つの超高層建築が一瞬のうちに崩れ去る姿を見ると、人間の築いてきた文明とはいったい何だったのだろうかと考えてしまう。 アメリカの力の象徴でもあり、一見しっかりした土台の上に立つ堅固な建物が、実は砂上の楼閣に過ぎず、こんなにもろいものであろうとは。家族を探す人々のうつろな顔を見ると、いつ何時、我々にもこのような時が来ないでもないと思わせる。 新聞は「パール・ハーバー以来のショック」「戦争へ突入」と大見出しで、火を噴く二つの建物の写真を載せている。休会中の国会が14日に召集され、コーンウォールで休暇を過ごすスーザンも、国会記録編集かがりとして13日に帰宅した。 黒の喪服で国会に向かう彼女は玄関先で、「すべての人々が過去の歴史に関して反省すべきで、マティリアリズムでないもの、もっとスピリチャルなものを解決策としてもつべきだ」と語って出て行った。 確かに、この恐ろしい出来事の背後にある歴史を我々は探るべきだし、報復ではなくて、我々の現代文明の欠けたものを探し出し、それを補う方法を考えるべきであろう。 14日、11時にセント・ポール寺院でエリザベス女王出席の追悼ミサがあり、職場や広場での三分間の黙祷が呼びかけられた。都心でも、タクシーや車から降りて黙祷に参加する人々の姿が目立った。 |
| 2001年9月8日 エイクボーンの新作三本が午前11時〜10時の強行軍スケジュールで上演され、これをスカボローの劇場で見ることができた。 この三作はまったく同じセット(テムズ川を見下ろす近代的フラットの居間)で上演され、まったく同じ七人の役者(しかしまったく異なったタイプの役を演じる)が登場する。 「Game Plan」で16歳の少女たちを巧みに演じた役者も他の二作ではまったく変身して、20代後半の成人した女性を演じている。その他の役者たちも、それぞれ職業や性格のまったく違う役柄を見事にこなしていて、これを見るだけでも大変おもしろい。 11時からの「Game Plan」はすでに先週見たものだが、再び見ることになった。終演後急いでCafeで昼食、劇場に戻る。 2時半に始まった「Flat Spin」では、他人のフラットに滞在することになった女性が隣の住人に一目ぼれ。しかし、男が何を企んでいるのかは知らない。この居間はギャングたちの金の取引場と化し、隣の男が横取りしたかと思われた大金はギャングの手に渡り、勝ち誇った彼らの嘲笑と、それを知らないで奥で幸せにはしゃぐ若い恋人たちの嬌声が重なる。 スマートな現代生活の裏に潜む危険とロマンス、隣人が何をしようとしているのか、恋人の意図が何なのかも知ることのできない都会の生活の一断面が描かれる。突然の電話やドアのベルの音とともに次々と新しい危険が出現、場面展開の早いスリリングな演出は息もつかせぬおもしろさである。 二時間半の休憩時間の利用して近くのホテルで夕食、7時半からの「Role Play」を見る。 この劇は自分たちの婚約発表のパーティの準備で忙しい恋人たちの、あわただしく動き回る様子で始まる。双方の両親を招いての正式なディナー・パーティなので、落ち度のないように万全を期す完全主義の女性と、これを諭して和やかなパーティであればよいとするやさしい男性。 準備万端のパーティの始まる直前、上階の女が暴力的な夫の手を逃れて濡れ鼠で登場、間もなく彼女を追って、元ボクサーの一見暴力団風の夫の用心棒が登場、ピストルをちらつかせる。彼らはこの場を動こうとせず、両親と恋人たちだけのパーティのはずが、上階の客を交えて奇妙なものになってゆく。結局、皆が期待した婚約発表はなされず、それどころか、婚約を発表するはずの当の男性は、彼の心を理解しようとしない相手から逃れ、上階から逃げてきた女と手に手を取って、この場から逃げ出して行く。 日常生活の中にある肉体的な暴力と、人を圧迫する目に見えない暴力、愛情という名の下に隠れたエゴイズム、許婚と言えども互いに理解することのできない二人―現代生活の見事な描写である。 今シーズン最後の公演でもあり、作者が舞台に登場、劇場の支持者たちに感謝のスピーチがあり、会場からの暖かい拍手に迎えられた。 当日の切符は一月前に完売になっていたが、エイクボーン氏の計らいで、ご招待いただき、三本を見ることができた。 夜10時、外のひんやりした空気で、現実に戻り、急いでホテルに戻った。 |
| 2001年9月7日 日本からやって来た友人と、ヨークに出かける。城壁をめぐって作られた歩道を、町を見下ろしながら歩き、16世紀の通り、シャンプル・ストリートの店を見て回った。13世紀から250年かけて建てられたというゴシック建築のヨーク大寺院の高くそびえ立つ姿を町のどこにいても仰ぎ見ることができる。 夕食後、友人はロンドンへ、私はスカボローへと向かう。暮れかかる駅に下り立ち、ホテルへと向かう。19世紀の保養地として建てられた、海を見下ろす高台にあるホテルは、いかにもヴィクトリア朝風の威風堂々たる外観を持つが、内部はあちこちに柱が多く、迷路のようで、19世紀の幽霊に廊下で出会いそうな薄暗さだ。 |
| 2001年8月27日 ロンドンから二時間のドライブでサセックス州のルイスの町に着く。この町から三十分、畑や広い草地に囲まれて、グラインボーン・オペラハウスがこつ然と姿を現す。クリスティー家所有の15世紀建築の大邸宅がまず目に入り、その横に円形の劇場がレンガ造りの姿を現す。 田園ののどかな風景の中に登場する、このまったく個人所有の劇場で、毎年優れたオペラ上演が行われ、世界中から人々が集まってくることを考えると、なんとも夢の国にいるような錯覚を覚える。 ここでは男性はディナー・ジャケット、女性はロングドレスの正装ということになっており、古き良き時代の伝統を守ろうとしていることがうかがわれる。 1934年以来、ここではオペラ上演が行われてきたが、劇場の建物は1994年に改築されたもので、外側はレンガ造り、内部は木のおもしろさを生かした近代的な設計である。 ハリソン・バートウィスルのオペラ、「最後の晩餐」を見ることになった。キリストと十二使徒の物語だが、人物はいずれもジャンパーやジャッケット姿のカジュアルな現代服で登場する。現代という時代の解説者でもあり、批判者でもある、女性の幽霊が登場、裏切りとは何か、信じるとは何かを訴えかける。現代音楽のおもしろさも十分味わえた、幕間なしの二時間であった。 終演後、のんびりと芝生の上で持参の食事を広げる人々の姿が広い庭園のあちこちで見られる。いかにもイギリスらしいのどかな光景で、都会のオペラ・ハウスでは決して味わえないぜいたくである。 ディナー・ジャケットとロングドレスの人々のピクニック姿を見ているとまさにタイム・スリップして何世紀か前の時代に戻っていってしまいそうだ。イギリスならではの貴重な夏の一日であった。 |
| 2001年8月25日 8月20日、スカーボロのステファン・ジョーゼフ劇場で劇作家アラン・エイクボーンに会うことができた。スカーボロは美しい海岸線の続く海辺のリゾート地だが、彼はこの地の劇場の持ち主であり、座付き作家でもある。彼の作品のほとんどがこの地で初上演され、その後、ロンドンの国立劇場やウェスト・エンドの劇場に移され、上演されている。一昨年 Sir の称号を与えられた彼は、大きなアーム・チェアから立ち上がって、いかにも人柄の良さそうな笑顔で迎えてくれた。 現在「Game Plan」「Flat Spin」「Role Play」の三本がこの劇場で上演されているが、「Game Plan」が59作目という多作の作家である。多作の秘訣はこの劇場の自分の劇団を持っていて常にこの劇団のために書かねばならないと言う義務感が働いているとのこと。劇団員との連帯感も強く、作品をロンドンに持って行くときでも同じキャストで上演したいと常に思っているとのことである。構想を練るのに非常に長い時間がかかるが、書き始めると早く、「Flat Spin」は一週間で書き上げ、次の週には役者たちの手に渡っていたという。 日本での翻訳上演も多い彼だが、日本での上演にも大変興味を持っており、劇団を連れて日本に行ければ団員にとっても学ぶところが大きいのだが、このところブリティッシュ・カウンスルもあまり積極的に働いていないので実現は難しいと語る。 一時間ほどのインタビューの後、彼が劇場内を案内してくれた。二つの大きな劇場、The Round 、The Macarthy を持つこのステファン・ジョゼフ劇場は、四年前に古い劇場から現在の場所に移され、再出発したわけだが、個人所有の劇場としては大変大がかりなもので驚かされる。 The Round はすり鉢型の底に舞台が置かれ、そのまわりを客席が取り囲む円形劇場で、観客と舞台の距離が短く、おもしろい舞台効果が期待できる。 The Macarthy は1930年代に映画館として使われていたこの部分は、当時の面影を残して、赤ビロードを張ったイスを使い、背の部分は当時のまますり減った木を残していて、ノスタルジックな時代物の雰囲気を持たせている。 昇ったり降りたりのこの劇場の案内の間に、「この昇り降りで、劇団員の肥満が防がれて、皆が元気なわけですよ」と座付き作者は解説する。 テレンス・ラティガン(1911〜77)以来、作家として初めてナイトの称号を与えられたこの作家、今後の発展がますます期待できそうだ。9月に自伝が出るとのこと。楽しみである。 さて、会見後、The Round で「Game Plan」を見ることになった。テムズ川を見下ろす現代的なフラットの一室が舞台。家計を助けるための16歳少女の売春、証拠もないのに母親を売春婦と決めつけて脅す警官、「母の売春物語」の手記で一儲けしようとたくらむ雑誌記者。めまぐるしく動く舞台は、現代の日本でも十分起こりうるストーリーを展開する。現代のモラル、警察権力の市民生活への介入、メディアのもたらす悪の行方等、この時代の問題をあらためて見直させる興味深いテーマだ。思春期の娘の複雑な心理と娘をかばう母親の愛とが、不思議に絡み合い、やがて奇妙な二人の和解で劇は終わるが、見る者をくぎ付けにしてしまう二時間であった。 (「エイクボーン会見記」「Game Plan」上演に関しては、詳しくは『現代演劇』15〈英潮社〉の「イギリス演劇事情2001」をご覧ください。その他、ロンドンでの劇上演に関しても同様です) |
| 2001年7月30日 「Kirov Opera」が来ており、「オセロ」「マクベス」「アイーダ」を見ることができた。「オセロ」は中でも素晴らしく、感動的であった。十字架を思わせる剣が数本突き刺さっているだけの象徴的な舞台で、異教徒オセロの罪とデズデモーナの死と愛による浄罪が暗示される。 愛と嫉妬、罪と死の物語が舞台上で迫力を持って繰り広げられ。この公演がこんなに説得力を持つのはロシア的な情念の世界が背後に動いているからであろうか。 「マクベス」「アイーダ」も単純化された舞台装置で、洗練された演出に驚かされる。 「Kirov Ballet」は「白鳥」「眠りの森」「海賊」「宝石」「マノン」と全演目を見ることができた。いずれも伝統的な振り付けと衣装、無駄のない舞台装置でみごとな、緊張感のある公演であった。 |
| 2001年7月5日 ナショナル・ギャラリーで「フェルメール展」が二ヶ月間開かれている。現存する彼の絵は35点と言われるが、その中の13点が展示されるというので、大変な人気である。予約切符は日にちと入場時間を書き入れたもので、手に入れるのに長い行列ができている。30分ごとの入場制限を行っており、日本のように展示室が満員になることが亡く、ゆっくり絵を楽しむことができる。 17世紀の庶民の姿が独特な筆づかいで描かれ、タイム・スリップして絵の時代に入り込んでしまうような錯覚を覚える。とにかく、ロンドンでこれだけ多くの彼の絵を見ることができたのは本当に幸運である。会期中に何回か見るつもりだが、まず、イギリス名物の予約切符の長い行列に並ぶことになった。 |
| 2001年7月1日 今年は「Japan 2001」の年と名付けられて、日本文化が様々な形で紹介されている。キュー・ガーデンの日本庭園造成に始まって、浮世絵展、剣道、茶の湯の紹介から、日本物産展、歌舞伎、狂言の上演と幅広い催しが繰り広げられている。 日本からもいくつかの劇団が来ているが、日本とイギリスの合同公演「Amaterasu」(天照)を観た。和太鼓とモダン・バレーで天照の物語を見せる公演だが、和太鼓の魅力を存分に見せ、それに合わせて踊るイギリス・バレー団の踊りは素晴らしい振り付けで、エネルギッシュである。日本企業がバック・アップしているだけあって、役者の顔ぶれ、衣装ともぜいたくなものである。 三島由紀夫の『熱帯樹』がイギリス劇団によって上演された。ノリックの小劇場の公演はミステリアスな雰囲気を上手く出していて、日本人舞踊家の踊りを交えて魅力ある公演であった。 同じく三島の『近代能楽集』から「卒塔婆小町」「弱法師」が蜷川幸雄演出で、バービカンの大劇場で上演されたが、全席超満員で、この国での蜷川人気をあらためて見た感じであった。 友人スーザンと出かけたが、休憩時間に我が家のお隣のご夫婦とばったり出会った。ロンドンの蜷川公演はすべて観ているのだそうで、今回の三島作品も明快で面白いと話していた。 三島の劇は、長ぜりふが続いて上演が難しいが、蜷川演出では台詞が説得力を持つものになっていて、さすがに見事な舞台となっている。観客は舞台上の小さな字幕で英訳を読む苦労があるわけだが、日本の現代劇がこれだけ多くの観客を動員できるのには驚かされる。 翌日の各新聞はこの劇を取り上げ、好意的な評を載せている。「西洋文明と日本の古典世界を融合させようとした三島の試みを、蜷川がみごとに自分のテーマとして、上演を成功させている」「三島は蜷川という完璧な語り手を見つけた」と賛辞が続く。 |
| 2001年6月25日 6月7日の総選挙で圧勝したブレア政権二期目の議会が、エリザベス女王を迎えて6月20日開幕した。労働党としては70年代半ばのウィルソン政権以来、25年ぶりの二期連続政権である。女王はこの第二次ブレア政権の施政方針を代読。最近では人数を減らして小規模になったとはいえ、チューダー期の揃いの制服に身を包んだ臣下たちを従えた国会までの馬車行列はなかなかドラマチックである。 息子たちの離婚劇に続いて、アン王女の二度目の離婚もささやかれる中、勤勉に仕事をこなす女王は、国民の間に根強い人気を保っている。 古式ゆかしい儀式の後、出発した新政権は「教育、医療、犯罪対策の改革」を優先課題とする方針のようだが、学校、病院、警察は仕事がキツイという理由で若い人が集まらず人手不足。ここ数年の好景気で、待遇のよい民間企業に転職する人が多いという。病院も患者の側からの不満と同時に、医者の側から長時間労働への不満が噴出している。 多くの難問を抱えた新政権。ブレア首相の舵取りで上手く危機を脱することができるのだろうか。 |
| 2001年6月18日 国立劇場の小劇場コテスローで「Haward Katz」を観る。人生の目的や生きる理由を求めて、自分に正直に生きようとした男、ハワード・カッツがどこへ行ってもはじき出され、家族からも同僚からも見放されて行く話だが、主人公役ロン・クックの演技には説得力がある。新人作家パトリック・マーバーの三作目の作である。彼は一昨年「Closer」で四人の男女の愛と嫉妬と別れの物語をみごとに描いたすぐれた作家である。「Katz」はその迫力には及ばないものの、なかなか重みのある舞台であった。 同じくコテスロー劇場で、エドワード・オールビーの「Marriage Play」「Finding the Sun」の二本立てを観る。 「Marriage Play」は夫が妻に離婚を言い渡す場面から始まる。夫婦の対話劇だが、妻の日記が読み上げられると、新婚当初からまったく心の通わない二人であったことが判明する。中産階級のごく普通の夫婦の間に繰り広げられるやり取りの中に、ひやりとする人間関係の破綻が見え隠れする。 「Finding the Sun」は四組の家族関係の破綻を描く。妻がいるにもかかわらず同性愛の相手を捨てきれない若者、息子のこの状態を知って心を痛める父親、夫亡き後息子を恋人のように母親と、母から独立してゆく子。海岸の明るい日差しの中で休暇を過ごすこれらの人々の砂の上の数時間が描かれる。ここにも人間関係、家族関係の破綻が繰り広げられる。出口なしの人々の状況すべてが明るい日差しの中であばかれてゆく。役者のコミカルなやりとりでやっと救われた気分になる、いかにもオルビーらしい作品である。切符売り切れであったが、かろうじてキャンセル券を手に入れ、観ることができた。 |
| 2001年6月10日 ロンドンから列車で1時間、サリー州のキャンバレーにやって来た。アリーとバート夫妻が駅に出迎えてくれ、彼らの家に5泊することになった。彼らと知り合ったのは28年前、二人の娘のジャンが12歳の時であるが、彼女も今や10歳児の母となってイタリアに暮らしている。 ロンドン郊外のこのあたりは牧場や緑の森に囲まれた静かな住宅地で、ロンドンへの通勤可能範囲でもあり、同時に田園生活を楽しむことができるので、人気のある土地である。 翌日は車で1時間ほどのところで開催されている工芸展を見に出かける。16世紀の館、ロズリィ・ハウスの広い庭にいくつものテントを張って、陶器をはじめとする様々な手工芸品が並べられ、大がかりなバザーのようなものだが、並べられている品々はかなり高度なもので、おもしろい。 芝生に座ってのんびりと語り合う若者たち、走り回る子供たち、真夏を思わせる青空の下で、アイスクリームを食べる人々と、テントの工芸より、戸外の空気を満喫して楽しむ人々が多いが、この地域主催の催しは大盛況である。 二日目は二人の案内でイギリスの古都ウィンチェスターを訪れる。メイン・ストリートの16世紀の建物がそのまま普通の店として活用されていて、この街の歴史を感じさせる。ウィンチェスター大寺院の塔が街を見下ろす形でそびえ立つ。歴代の王たちの棺が聖堂内に並べられている。ジェイン・オースティンもここに葬られているが、そのやさしい人柄を称える言葉が壁に刻まれているだけで、作家であることは一言も触れられていない。女性が作家になることを好ましく思わなかった19世紀の墓碑銘である。建物の最も古い部分は12世紀のもので壁画は色あせているものの、石造りの寿命の長さを物語る。 5日間キャンバレー滞在中、二人の案内で、この近くの村々を見て回り、古いパブでの昼食、ホテルの中庭の芝生の上でのアフタヌーン・ティーと、イギリスののんびりした田園生活を満喫することができた。 |
| 2001年5月30日 ナショナル・ギャラリー主催の連続講義「絵画と宗教的要素」に出席する。 先週はミュリーロの宗教画についての講義であったが、彼の時代(17世紀)の、疫病による死、犯罪や飢えという希望のない状況の中で、画家が来世にのみ希望を託して描いた宗教画が、物質豊かで死の意識の薄い20世紀に、深みのない明るすぎる絵として低い評価しか与えられなかったことを明快に指摘するものであった。21世紀には果たしてどのような評価が与えられるのか、という疑問符で講義は終わった。周りを取り巻く悲惨さとは逆の世界を画家が求め、それを読みとれなかった我々の時代の豊かさの持つ愚かさが指摘されたような気がした。 今週は先週に続く、コリン・ウィギンス氏による「カラヴァジオとその絵画」で、彼の静物画のもつ象徴性についての解説を聞く。皿の上のヨハネの首をサロメに差し出す首切り役人の表情の中に、画家を取り巻く犯罪世界が描写されているという指摘はおもしろい。彼自身殺人犯でもあった16世紀の画家カラヴァジオの人生が絵の中に見え隠れする。 ケン・ラッセル監督の「カラヴァジオ」は彼の人生と絵画を描く見事な映画であったが、この講義を聴くうちに、その一つのシーン、カラヴァジオが事故死した人間をアトリエに運び無心にデッサンを続ける、その姿が蘇ってくる。彼がいなければ絵画の歴史は変わっていただろうという指摘は意義深い。 |
| 2001年5月25日 大英博物館のジャパニーズ・ルームで「茶の湯」の講義と実演があるので、スーザンとジルを誘って出かけることにした。博物館入口も長いこと工事中であったが、ガラス張りの屋根がつき、カフェと土産物の店が大きな場所をとってすっかり観光地風のものに様変わりし、昔の面白みが消えてしまった。 この国では国立の博物館・美術館は入場無料だが、維持費がかさみ、この改築も企業の寄付に頼っており、入口近くに広告名が大きく書かれ、人目を引く。長い歴史を誇る建物内の図書館もユダヤ人協会の寄付によって改築が完了したようだ。文化的なものを大切にし、入場料無料にしたお国柄だが、人件費、電気代等の出費がかさみ、維持が難しいらしい。 ジャパニーズ・ルームのはじにある茶室での「茶の湯」講義は日本人女性講師の歴史的背景や所作についての解説に始まり、聴衆の中から二人を客として茶をたてるものだった。二十名近くの見物客の中から様々な質問が飛び出したが、「なぜそうするのか」を知りたがっており、「なぜ」を問わずに「習うより慣れよ」で始まる日本の茶の湯の稽古はここで通じないようだ。スーザンとジルも細かい所作を注意深く見ていてイングリッシュ・ティーを飲みながら、日英文化論に発展し、興味深い午後を過ごすこととなった。 |
| 2001年5月15日 Blue/Orangeを観る。精神病棟のある一日、24時間を描くもので、一人の黒人患者と二人の医師をめぐる物語である。 若い医者は患者との人間関係を築き、患者にもう少し治療期間が必要と判断する。新しいシステムを導入し、医療機関での指導力を握ろうとする老医師は、患者を即刻退院させ、ベッド数の不足を補おうとする。何を以上と見、何を正常と見るかの二人の戦いは、一方で権力と良心の問題に発展、やがて個人的な中傷合戦となる。患者を無視して戦う二人に傷つけられた患者の怒りも、二人は戦いの武器として利用しようとする。見捨てられた患者と医師二人の無言の対立の中に舞台は幕となる。 医療機関の中での権力闘争が患者をも巻き込んでゆく様が、早口のやりとりで、チェス・ゲームのおもしろさで展開してゆく。ダッチス劇場の真ん中に10メートル四方の正方形の舞台をしつらえ、これが開幕とともにせり上がる仕掛けで、その周りを囲む形で客席が置かれている。観客は舞台に接近して座る形になり、作品の問題性が遠くで起こっているのではなく身近な問題であると感じさせる見事な仕掛けである。 作者ジョウ・ペンホールは国立劇場の座付き作家(二年間の生活を保証して作品を発表させ、国立劇場が新人を育成する制度)として登場し、様々な賞を受けているが、この作品でも充分な実力を見せており、期待できる新人作家である。若い作家を育てようと努力するこの国で、次々と有力な作家が登場してくるのはうらやましいかぎりである。 |
| 2001年5月5日 土曜日、スーザン、シーラと二人で近くのインド料理屋に出かける。 シーラはBBCでの勤続30年の功績が認められて、昨年OBE(Order of the British Empire)の称号を授与され、その席上、チャールズ皇太子と、共通の友人について20分間立ち話をした、という人。ジャーナリストや評論家の友人が多い。BBCのジャーナリストたちも、昔は個性的な変わり者が多く、会話に活気があり大変おもしろかったが、最近はコンピューターのような人が多くて、正確な答えが返ってくるけれど、おもしろ味が減った、という。テレビのコメディーもおもしろいのは70年代のリヴァイバルものばかりで、新しいものは、まったくおもしろくないとのこと。日本の現状を思い出させられた。 |
| 2001年5月1日 コーンウェルからロンドンに戻ったスーザンの第一声が「家が一番」であったが、私も同感である。二週間足らずのロンドン住まいだが、この家が自分の家のように感じられる。 1886年に建てられたこの家は、居間や食堂から花の咲き乱れる庭、その背後に広がる森が見渡せ、春の美しさを朝夕楽しむことができる。坂の上にあるので、正面玄関からはロンドン市内が見渡せ、夕暮れ時は特に美しい。通りは19世紀建築のどっしり構えた大きな家が建ち並び、庭の区画もたいへん大きい。 この家の階段の19世紀の特徴を示す美しい彫刻がなされ、居間の大理石のマントルピースは見事である。私の部屋の大きなタンスはヴィクトリア朝のもの。19世紀末の机に向かってこの日記を書いている。 ボリショイ・バレー、スパニッシュ・ダンス、タンゴの短期間公演が行われており、これを観ることにした。ボリショイ・バレーは「白鳥の湖」「ドン・キホーテ」「くるみ割り人形」を組み合わせたもの。踊りはすばらしいが、ハイライトだけを見せる傾向が目につく。先日の「ジゼル」でもカット部分が多かったが、観客が忍耐力を失って、ハイライトだけを求めているのであろうか。 アルゼンチン・グループの「タンゴ」は、音楽、踊りともにすばらしく、ブエノス・アイレスの裏町から発生したタンゴが、高級サロンへ進出し、やがて国際舞台へと発展してゆく経過が演出として使われ、効果をあげている。 スパニッシュ・ダンスは、愛と死の物語を現代風の衣装で見せる。踊りはすばらしいものの、物語の展開、衣装にもう少し工夫がほしい。 週末はインド料理の出前を頼み、七品の料理が届いた(日本円で4500円ほど)。インド、また中華の「TakeAway」がたいへん流行っており、ローソクとは撫で飾られた食堂で、スーザンとゆっくりスパイスの利いた料理を楽しんだ。 今日のメーデーは昨年の騒動の再発を警戒して、警備費が5億円を超えたという。過剰警備への批判も出ているが、商店の窓ガラスが割られるくらいで大きな騒ぎにはならず、一安心であった。 通りの八重桜が満開で美しい。 |
| 2001年4月20日 11時のティー・タイムに地方の牧師アランと言語学者のマーフィンが招かれてやって来た。日本の皇室と民主主義がどのようなバランスの上に立っているのか、日本の不景気の行方は…、という厳しい質問の後で、この地方の労働者階級がよりよい生活や高い教養を望まず、閉鎖された銅採掘事業のおかげで手に入る補助金をあてにしてぬくぬくと暮らしているという指摘があった。このあたりの人々はのんびりしてよい人柄のように思われるのだが…。内からの批判としておもしろく聞いた。 |
| 2001年4月18日 スーザンの家から1時間ドライブで「日本庭園」に出かけた。石庭、大きな鯉の泳ぐ池、その上にかけられた日本風の橋、苔をあしらった小庭、竹やぶと、日本でもなかなか見ることのできない見事な庭で、椿、ツツジが美しく、手入れが行き届いている。売店には盆栽が並び、この国の愛好家の間で流行しているようだが、スーザンもそのいくつかを買い求めた。 裏にはこの13世紀の教会、St.Mauganが静かなたたずまいでそびえ立つ。村のカフェーで一休みし、この地方特有の濃い黄色のクリームとジャムをつけたスコーンとティーで元気を取り戻す。古い自国の建物を大切に保存する一方で、異文化を学び、受け入れるイギリスの幅広い一面を見るような気がした。 |
| 2001年4月15日 友人のスーザンと7時間のドライブでイギリスの南西コーンウェルにやって来た。途中、ドライブインでコーヒーとケーキで休憩。車の後部座席では彼女の愛猫ウィニーがバスケットに入って眠っている。夜10時半、彼女の別荘に到着。海からの風が強く、寒さが身にしみる。夕食後、スーザンの用意してくれた湯タンポ(日本のゴムの氷枕とまったく同じ形のものに湯を入れ、これをhot-water bottleと呼ぶ。これがなかなか快適で朝まで暖かい)で、暖かく眠ることができた。 翌日、「エデンの園企画」(Eden Project)と呼ばれる場所に出かけた。ミレニアムの記念行事として建てられたもので、巨大なドームの中は熱帯植物の温室で、バナナ、ココナツ、パイナップルが植えられ、気温は28度Cに保たれ、みなコートを脱いで歩き回っている。見て回るだけで1時間以上かかってしまう。イースター休暇で学校が休みなので、子ども連れが多い。古い建物を大切にするイギリスで、宇宙時代を思わせるこの半透明のドームは特異な存在だ。切符を買うのに1時間待ちで、静かに行列を作る人々にイギリス人の辛抱強さを見るような気がした。 |
| 2001年4月12日 4月に入ってもロンドンは日中も11〜13度Cと気温が上がらず、寒さが残っているが、黄水仙が咲き乱れ、緑の美しい季節となった。 ウェスト・エンドの劇場街にあるロイヤル・ヘイマーケット劇場で、人気作家サイモン・グレイの『ジェイプス』(Japes)が上演されており、これをまず観ることにした。 強い絆で結ばれた兄弟と、この二人を同時に愛した一人の女性の物語で、彼らの27年間が描かれる。 兄の不注意から弟は子供時代に怪我をし、足を引きずる後遺症を残すことになるが、兄は常に弟に罪の意識を持ち、弟への強い愛着を持つことになる。弟も常に兄を必要として、同じ家に住むが、兄の妻もこの二人を常に必要としており、奇妙な三角関係が続いてゆく。兄は作家として成功、弟は才能を持ちながらアルコールに溺れてゆき、弟と兄の妻は心中同様の死に方をするという結末である。 ピーターホール演出で、三人の役者が重いテーマをコミカルな会話で描いてゆく。19世紀の豪華な内装を持つこの劇場で、現代イギリス中産階級のくずれゆくモラルや愛のゆくえが見事に語られる。 イギリス演劇の持つ底力を感じさせられる一日であった。 新装なったコベントリー・ガーデン・オペラハウスでのバレー『ジゼル』は切符が売り切れの人気公演であるが、群舞・オーケストラのすばらしさ、主役の見事な踊り等、ロンドンに来たことをしみじみ実感させられた。 テムズ河南のヘイワード・ギャラリーの『ゴヤ展』では、彼のコミカルな諷刺画100点が展示され、ロイヤル・アカデミーの『カウバッジオと同時代展』ともども興味深く見た。 |
| 2001年3月28日 時どき稲光を伴う雨の中をロンドンに到着。ここ数日雨が降り続いているとのことである。 ロンドン北部ハイゲイトにある、友人のスーザンの家に住むことになったが、彼女は国会の議事録まとめて公表する仕事をしており、口蹄疫の問題で議会が長引いて迎えに出られないとのこと。代わりに、ミニ・キャブ(タクシーと違って、行く場所によって料金が決まり、経路や待ち時間等に関係ないので、タクシーの三分の一くらいの料金で済む)を迎えに出してくれていた。 運転手のマイケルは、「この一年間で車の数が増えて運転がしにくくなった」「雨の日は予約がたてこんで無理をすることになるが、そういうのをろうそくの火を両側から灯す(burn the candle at both ends)と言うんだ」などと早口にまくしたてる。労働党には失望したので次回選挙では保守に票を入れると言う。ブレア政権への失望はあちこちで聞かれ、家主のスーザンも同意見である。 スーザンと三匹の猫、私とのロンドン第一日が雨の中に始まった。今後どのような展開になるのであろうか。 |