教員&授業紹介

2001年度版
(五十音順です)

天野 みどり(あまの・みどり)天野みどり。オリエンテーションにて。
 言語、特に日本語にひそむしくみや機能を研究しています。どうして言語はこんなふうになっているのか、どうしてこんなふうに変化するのか…というように考えていくと、言語を使用する「人間」そのものを考えることにつながります。言語を深く考えるおもしろさを体験してほしいと思います。

私のお薦め授業
「日本語の世界TU」
 2001年度は「しばいのことば」がテーマ。Tは、江戸時代の狂言舞台の台本を資料に、日本語の変化を考えます。Uは、現代のテレビドラマ・映画・演劇などのシナリオや、実際の舞台ことばを録音した資料などを用いて、「しばいのことば」を考えていきます。

韓国フィールドワークへ行こう

連載コラム・韓国フィールドワークへ向けて

石山 俊一(いしやま・しゅんいち)石山俊一。2000年度新入生歓迎会にて手品を披露。
 昨年の暮れ(2000年12月末)、機会があってローマ(イタリア)に行ってきました。25年ぶりに法王(パオロ2世)によって開かれたヴァチカンのサン・ピエトロ聖堂の「聖なる扉」に触れてきました。こころひそかに新文学科のいっそうなる発展をお祈りしました。 今年のゼミは19世紀のアメリカ小説、とくに19世紀後半を代表する作家ヘンリー・ジェイムズの作品に焦点をあてて彼の文学的テーマを考察していきます。英文が難解ですので、学生諸君は予習が大変でしょうが、実り多いゼミになると思います。また、今年は「異文化へのアプローチ」の授業を担当し、フィールドワーク学習のためアメリカ(サンフランシスコ)へ行く予定です。不況ですので経費を切りつめて一週間くらいの滞在を考えています。

私のお薦め授業
 「異文化へのアプローチ」
 アメリカは広いので西海岸のサンフランシスコにしました。夏休み(8月)を利用して一週間くらい滞在する予定です。異文化の理解を深める最良の方法は、その対象となる文化と自国文化との相異と類似を明確にすることでしょう。「百聞は一見にしかず」です。自分の目で現実のアメリカを見て、自分の話せる英語でアメリカ人とコミュニケートしてください。帰国後のレポートが楽しみです。

フィールドワーク予定

加藤 三由紀(かとう・みゆき)加藤三由紀。オリエンテーションにて。
 中国の同時代の文学を追いかけています。レトロでモダンなチャイナドレス風の作品もいいのですが、中国の厳しい環境に生きる人々を描く作には迫るものがあります。横たわる巨大な龍さながらの黄土高原を旅してから、すっかりかの地の人々の暮らしに魅せられてしまいました。日本ではまだまだ翻訳、紹介の少ない分野、歴史や文化の違いを理解して初めて見えてくるおもしろさを伝えたいと思います。

私のお薦め授業
「現代中国文学との対話」
 中国の今を語る短いエッセイ、小説、詩などをじっくり読み解く授業です。中国語学習歴一、二年で少し背伸びをすれば読める文章を選びます。今年度は、岩波ホールで上映される映画『山の郵便配達』原作や、中国でTVコマーシャルとして放映された「知識は運命を変える」などを取り上げる予定です。言葉の壁、文化の壁をどう乗り越えていくのか(越えられない溝もあるでしょう)、楽しみです。
吉川 信(きっかわ・しん)吉川信。趣味はピアノ?
 専門はジェイムズ・ジョイス、なんていうとなんだかオタクの極致みたいに聞こえた方、物知りですね。「アイルランド文学」というと、えっ?そんなのがあったの?と不思議に思う人、これまたたぶん物知りです。そう、「アイルランド文学」なんて、昔だったら「イギリス文学」の一部だったわけで、とくに「英語」で書かれた「近代のアイルランドの小説」は、最近やっと多くの人に、そういう分け方があったのだと知られるようになった、といったところでしょうか。わたしの場合、もっぱら高踏・高級芸術志向の「モダニスト」と考えられてきたジョイスを、今一度「アイルランド文学」という文脈に置きなおして考えています。

私のお薦め授業
「境界の文化」
 今年度から始まる(隔年度開講の)新しい授業ですから、どんなものになるかわからないので自分でも期待してます。たとえば大学の授業案内には、つぎのエドワード・サイードのことばを引用しておきました。「国民国家的として規定される文化すべてに、主権と支配と統合を求める野望が存在すると、わたしは信じている」(『文化と帝国主義』)。わたしもそう思います。そんな野望に翻弄されたアイルランドでは、いまだに「国境」の問題が解決していません。19世紀の末にはイェーツという詩人が、アイルランドの過去を復権しようと登場してきましたが、ほかにもさまざまな作家たちが、失われた「主権」を自分たちの「文化」に取り戻そうとしました。そんな歴史を、文学テクストを参照しながら眺めてゆく予定です。
佐治 俊彦(さじ・としひこ)佐治俊彦。オリエンテーションにて。
 昭和20年9月生まれ(純粋戦後派です)。島根県松江出身、ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)がかつて教鞭をとった学校で少年時代を送りました。大学一年まで棒高跳びと柔道に殆どすべてを賭けていましたので、今も体育会系文学研究者と自称しています。
 1920、30年代の魯迅や郁達夫を中心とする中国近代文学を専門に勉強していますが、最近は上海を定点観測地と決め、上海における文学と演劇・映画、上海を主舞台とする文学と政治のからみ合いなどをテーマとし、毎年2回は上海に出掛けていきます。またつい最近、日本のチャイナタウン(唐人町)という研究も始めました。これらのテーマは旅行好きの私にはぴったり、と言うより、旅行好きだからこういうテーマを選んでいるのでしょう。
瀧本 晴樹(たきもと・はるき)滝本晴樹。教員合宿にて。
 私は英米演劇を専門にしています。専門科目「古典英語の世界」ではShakespeareを、共通外国語の英語では戯曲や映画のシナリオをテキストにしています。
 芝居や映画を見る人はたくさんいますが、戯曲やシナリオを読む人は少なく、それらを原書で読む人はさらに少ないと思います。戯曲やシナリオは読んで楽しむ対象ではなく上演または上映するための台本にすぎない、文学的な質、スタイルの低いものであると考えている人もいますが、演劇という虚構の世界で言葉の力によって詩的に表現することで、私たちに全体的認識、体験を得させようとしている点で決して文学的要素の低いものであるとは思いません。読者はその作品を上演する、映画化する演出家、監督になったつもりで読むことも、戯曲・シナリオに親しむ一つの方法だと思います。
 授業では、まず英語を日本語に移すことが前提となりますが、登場人物が話す言葉を通して人物の性格、内面心理、人間関係を分析し、英語の会話対の語彙が登場人物の性格や置かれている状況によってどのように変化するかを考察することを意図しているのが私の授業になります。

私のお薦め授業
「古典英語の世界1、2」 
 Shakespeareの“The Merchant of Venice"をテキストにしています。Shakespeareの英語は現代英語ではなく、しかも台詞は死の文体をもっているので、最初はとっつきにくいですが、読むうちに登場人物の性格とその状況認識が浮き上がってきて、Shakespeare戯曲のおもしろさが理解できるようになると思います。
 “The Merchant of Venice"は商人の金銭の貸借といった現実的な面と、三つの箱選び、三組の恋愛といったロマンチックな面をあわせもった喜劇です。特にユダヤ人への人種差別は当時は喜劇としてみられていましたが、現代では悲劇とみられる皮肉な面ももっています。Shakespeareの作品はエリザベス朝の社会的背景を抜きにしては考えられないので、その点の解説も含めていきたいと思っています。
津田 博幸(つだ・ひろゆき)津田博幸。国立競技場にて。
 「古代日本文学」を研究しています。ただし、私の研究対象は、「文学」と呼ぶより「言語表現」または「文献」と呼んでおいた方が適切だと思います。「文学」というのは現代人の観念だからです。
 基本的に快楽主義者。特に論理による説き明かしの快楽に魅せられるタイプです。古代という私たちにとっての異世界の言葉一つ一つを解き明かしてゆくこと、そのことによって自分が世界を少しずつ理解してゆくこと。そのこと自体に価値を見出しています。
 趣味は音楽(大学時代学園祭バンドをやっていた。いちおうボーカル。授業中もしばしば自分のために歌う。ただしアカペラ)とサッカー観戦(高校時代サッカー部で左サイドのミッドフィルダー。ただしベンチ要員)。
 個人ホームページは、http://homepage2.nifty.com/h-tsuda/ です。
 ここ何年かの間に発表した論文は以下の通りです。できるだけわかりやすく書いたつもりですので、ぜひ読んでみてください。
 (1)「アマテラス神話の胚胎―方法としての宗教実践者―」(『アマテラス神話の変身譜』、1996年10月、森話社)
 (2)「日本紀講の知」(『古代文学』第37号、1998年3月、古代文学会)
 (3)「歴史叙述とシャーマニズム―『日本書紀』を中心に―」(『日本文学』1999年5月号、日本文学協会)
 (4)「広成の読む『日本書紀』―『古語拾遺』をめぐって―」(『国文学』1999年9月号、学燈社)
 (5)「聖徳太子と『先代旧事本紀』―日本紀講の〈現場〉から―」(『祭儀と言説』、1999年12月、森話社)
 (6)「和歌とシャーマニズム―『日本書紀』をめぐって―」(『国文学』2000年4月号、学燈社)
 (7)「『日本書紀』と〈説話空間〉―日本紀講の〈現場〉から―」(『国語と国文学』2001年5月号、至文堂)
 (8)共著『シャーマニズムの文化学』(6月末刊、森話社)

私のお薦め授業
「宮廷文化―〈日本紀の局〉考」
 『源氏物語』がどこから出現したのかについて考えています。
 ポイントは「日本紀」。八世紀の朝廷が作った漢文で書かれた史書です。「日本紀」は『源氏物語』の作者・紫式部が生まれる頃まで、朝廷で定期的に講義されていました。その講義の場は、さまざまな知や言説や物語が吸い寄せられ、うごめき、せめぎ合う時空だったと考えられます。ただの講義ではなく、新しい何かを作り出すエネルギーがマグマのように溜まってゆく場所でした。
 「日本紀の局」とは紫式部のこと。彼女自身の日記に、そうあだ名されて閉口したと書かれています。一方、『源氏物語』の中で、彼女は、「日本紀なんて物語に比べたらまるで不完全なものだ」と光源氏に語らせています。『源氏』のすべてが日本紀講から出てきたとは言えませんが、日本紀講の水脈を受け、日本紀講を意識しつつ、「日本紀」を越えるものとして『源氏』が書かれたという面は否定できないでしょう。この、「日本紀」と『源氏』をつなぐマグマの具体相を取り出せたら、と思っています。
橋本 堯(はしもと・たかし)橋本堯。教員合宿にて。
出生地:東京都港区。
最終学歴:京都大学大学院文学研究科(中国語学中国文学専攻)博士課程終了(1965.昭和40)。
本学へ来るまで:平安女学院高校教諭、島根大学教授を経て1982年(昭和57)から和光大学へ。
専門分野:特に中国の古典小説と関連の戯曲に精しい。
わたしにできること:
@ 中国の古典に使用された言葉や故事(ジャンルは問いません)で、どんな一般参考書でも見当のつかないものがあればすぐ調べ出します。
A 中国のあらゆる古い“お話”(妖怪、妖術、幽霊、冥界などに至るまで)も、たとい断片的でも同様に正体を調べ出しその意味も解説します。
※ 画像になっているものでもよい。(例:日光東照宮の陽明門とか、京都祇園祭りの山鉾とか)
趣味:西欧の古典音楽を楽しむ。(自分でもドイツ式のクラリネットを吹く)
深沢 眞二(ふかさわ・しんじ)深澤眞二。朗読を楽しむ会にて。
 1960年山梨県甲府市生まれ。芭蕉を中心に連歌・俳諧文芸を研究している。2001年度の和光大学では、芭蕉とその時代(ゼミ)、蕪村(プロゼミ)、奥の細道、百人一首とそのパロディ、川柳の中の平家物語、曽我物語、西鶴諸国ばなしといった講義を開いている。(和光連句は今年はお休みです。)小学校1年生と保育園児(ともに女の子)の父で、趣味、合唱。合唱関係の著書『なまずの孫』『なまずの孫2ひきめ』。「メンネルコール広友会」のHP参照。
 http://www2s.biglobe.ne.jp/~koyukai/

私のお薦め授業
 学年指定のない、誰でも取れる講義を簡単に紹介します。
 百人一首の講義のおおきなテーマは「絵と古典文学」です。今年は、百人一首そのものを味読・鑑賞するよりも、江戸時代になって出版された狂歌本の百人一首を取り上げて、狂歌と挿し絵それぞれのパロディの仕掛けを分析するつもりです。
 奥の細道の講義は古典文学序章として開きます。紀行文「奥の細道」を入り口にして、「風雅」という名の古典世界をたどります。「奥のわき道」になりそうです。予定では、白河の関から象潟(きさがた)あたりまで。
 川柳の中の平家物語の講義は、『江戸川柳で読む平家物語』(阿部達二著、文春新書)をガイドブックとして、必要に応じて平家の本文をながめつつ、川柳の滑稽を読み解いていきます。クイズを解くような面白さがあるはずです。
松永 巌(まつなが・いわお)松永巌。教員合宿にて。
 近代英語の語法研究(時制)をメインテーマとしていたが、和光大学文学科の複数講義を担当するようになって、源氏物語の英訳の研究が中心になった。この研究は現在中断しているが、源氏物語の二人の英訳者ウエリィとサイデンステッカーについては今後とも研究を続けていこうと思っている。
 上述の研究とかかわって、日英両語の対照研究には関心があり、現在ゼミを中心にして、日英語の待遇表現を比較しながら研究を進めている。英語には日本語の敬語のような明確に形式化されたものは無い。しかし相手に敬意を示す表現はある。それぞれの言語の文化的背景にも目を配りながら、両語の敬意表現の特徴を明らかにすることを目標としている。ある環境の中で一つの敬意表現が選ばれるその条件は何か、そのような場合どのような因子の集合によって決められるのか。今後の研究の重要なテーマである。
 教員である以上教育に関心を持つことは当然であるが、和光大学授業研究会に参加し、大学の授業のあり方を考え、研究して来た。
 現在は、和光大学総合文化研究所の「アジアの教育を考える」研究会に属し、特に発展途上国の子供たちの生活と教育について研究活動を行っている。

私のお薦め授業
「共通外国語(英語)」「英語科教育法」
 共通外国語(英語)は、講読中心の授業で読解力の向上をめざしている。特に英語の構造・語彙を正確につかみ英文を正しく理解できるように指導している。しかしこの種の授業では、学生が予習をしてこないことが多く、必然的に私語が多く、眠る学生もでてくる。そのような状況で授業運営がうまく行かず、授業効果もあまり上がらないという悩みをいだいていた。
 そこで次のような指導を試みた。まず次の時間にやる範囲の英文を日本語で訳してくることを宿題として課す。授業中は数名の学生に発表させ、発表者の間違った箇所を訂正したり、構文、語彙の解説をして、最後に全文を通して日本語訳をう。学生たちは、その間、自分の訳の間違いを訂正したり、解説をメモしたりする。質疑応答の後で、メモしたり訂正をしたぺ一パーを提出させる。そのぺ一パーは次の時間に返却する。
 これは1992年度から始めたのだが、1996年からは、後期はパラグラフリーデングを取り入れている。ここでは、パラグラフごとに設問(日本語)を出しておき、学生は英文を読んでその問に答える。この作業を行うために学生は予習をしっかりやってきて授業に出ることになる。このような方法を取るようになって、私語も少なく、真剣に学習に取り組む学生も以前より多くなったように思う。 授業は非常にやりやすくなった。ただし学生にとっては3,4ぺ一ジ毎回訳してくることが負担となるのか、ドロップアウトする者もいる。この点についてはテキストの選択などにもっと配慮する必要を感じている。
 パラグラブリーディングはこれまで同一テキストを使ってきたが、辞書にあまり頼らず大意をつかむ練習をするには、テキストの選択も重要だと思われる。今後は精読、速読それぞれのテキストを内容と同時に難易度も考えて選び、使っていこうと思う。授業に変化をもたせるために、ビデオを使ったり、インターネットなども利用してみようと思っている。
「日米両語の対照研究」(ゼミナール)
 待遇表現について比較研究を行っている。英語には日本語の敬語に相当するような言語体系は無いので、形態的な面での対比はできないが、英語にも相手に敬意を表すための表現はある。その点に着目して文化的背景も加味しながら、日英語の特徴を考察するのがこのゼミの目的である。 日本語には、このような場面ではこのような敬語を使うべしという一つの規範があり、敬語の用法を覚えておけば、相手に礼を欠くことはない。英語の場合は、決った形式が無いだけに、言葉を一つ一つ選んで発言しなければならない。その上その文化と深くかかわった発想が要求されるとなると、英語を学ぶ者にとっては英語の敬意表現をマスターすることは容易なことではない。このゼミでは、学習という面も考えながら英語の敬意表現を語用論の立場から分析し分類を試みている。学生たちは英会話と結び付け身近さを感じるのか英語の敬意表現に興味を感じ、同時に日本語の敬語を再確認するようである。日英両語の対照研究ということになると、両方の言語に通じていなければならない。このゼミでは学生たちは日本語の敬語について言語学的知識はほとんど持っていない。そのためまずそちらの勉強から始めなければならない。英語に関しても参考文献を読むことになるが、英語を読むのに苦労する。学習にほとんどの時間を費やしているのが現状である。今後は学生たちがテーマを持って研究活動ができるよう工夫していかなければならない。
宮 芙美子(みや・ふみこ)宮芙美子。教員合宿にて。
 イギリス、アメリカの演劇に興味を持っています。劇が時代とどのように関わりあってきたのか、劇のテーマとその背景の文化について考えてみたいと思っています。イギリスには時々出かけ、劇を見て歩きます。どんな劇がどんな人々によって見られているのか大変興味のあるところです。
 オペラ、バレー、絵画を見ることも大好きです。これらのものも劇と密接な関係を持っており、見ることへの興味はつきません。
 今年度はロンドンに滞在して研究中です。

宮芙美子のロンドン日記
村井 紀(むらい・おさむ)村井紀。オリエンテーションにて。
 研究者となったのは、学生時代に神田・早稲田・本郷その他古本屋がよいに精を出し、買った本のもとをとりたかったからです。買うだけでは損だ!少しでも回収したい!人間の本性は―少なくとも私の場合は、ケチであり―、少しでも授業料を回収したい!という気持ちからでした。で、皆さんにススメルのは、少し身分不相応でも、これと思った本は買うこと、買ったら、書き込むなり、なんなりして、古本屋に売れない状態にする。すると、追いつめられた「ケチな根性」は、いかに回収するかを考えます。
 もちろん、もともと社会との折り合いが悪く、幼少から引きこもり傾向はありましたし、民俗学の柳田国男や折口信夫などに入れ揚げて、書をすててフィールドに出たこともありますが、夏目漱石や坂口安吾の「自己本位」の境地が、私を勇気づけてくれますので、目下はここから、社会を反面教師として考えるようになりました。(高校生くらいのうちに、坂口安吾の「堕落論」くらいは読んでおくべきだ!これは、高校の国語では教えてくれませんが、生きる上で必要な議論ですし、難しいことを平易なことばで語りかけてくれます)

私のお薦め授業
「日本文化と言語5・6」
 生きる元気・勇気は坂口安吾や夏目漱石で、かえす刀で、江戸を読む!
 「江戸の不良・江戸の秀才」と題して、前期では勝海舟の父親で、終生不良で通した勝小吉の「夢酔独言」を、後期では、本居宣長・富永仲基などほとんどオタクの江戸の秀才たちを読んでいます。
山本 吉左右(やまもと・きちぞう)
 私は説教節や幸若舞山本吉左右。研究室にて授業中。などの語り物について研究してきた。それらのテキストに注釈をつけたり、それらの内容と関係する日本の伝説の成立事情について研究したり、あるいは説教節や幸若舞の語り手について調査したり、説教節とゴゼ歌を比較して、説教節は本来、聴衆を前にしてその場その場で口頭で即興的に物語を構成する、いわゆるオーラル・コンポジションによって語られていたことを推定したりしてきた。そのうち、これら中世的な語り物に大きな影響を与えたと考えられる日本中世の寺院の文化、特に仏教の法要や修法のこと等を手掛けるようになった。しかし、最近、大学のカリキュラムの関係で幕末・維新期の文人画について研究するようになった。

私のお薦め授業
 さて、私の授業についてだが、この幕末・維新期の文人画研究に関係するのが、「芥子園画伝をよむ」である。『芥子園画伝』は中国の清の康煕18年(1679)にその初集が成立した書物で、それには東洋の絵画を学ぶのに必要な様々な知識が詰め込まれている。この書物はやがて長崎での貿易を通じて日本に移入され、祇園南海などの初期の文人画家に珍重されるようになる。
 ちょうどその頃、18世紀初頭頃から日本では儒者という階層が自然発生的に成立してくる。その出身は様々で、当人や親が医者・出家・町人・百姓であることが多かった。そして江戸や京都の町場で弟子をとって教授することで生計を立てていた。これを町儒者といい、その中から幕府や各藩に取り立てられ、仕官した者を御儒者といった。先の祇園南海も和歌山藩の御儒者であった。
 祇園南海は木下順庵門で、その同門には室鳩巣・雨森芳洲・新井白石などがいる。白石は長崎での貿易を信牌貿易という形式に整え、貿易を盛んにした人物としても有名で、雨森芳洲は白石と協力して朝鮮外交に携わり、朝鮮語や中国語(唐話という)をよくした。荻生徂来や伊藤東涯も唐話をよくした。八代将軍吉宗は長崎の貿易を通して中国の法律書や地誌を大量に収集し、唐話のできる儒者たちに翻訳をさせた。古い漢文の知識では既に翻訳不可能であったからである。このように儒者は、言葉をかえれば、漢文や中国語ができる実務家集団であった。彼らは士農工商といった身分を越えて、その知識と能力で仕官し、また生計を立てた。そして彼らは中国式の教養を身につけようとした。つまり読書であり、漢詩の作成であり、中国の文人画風の絵画であった。
 その絵画の入門に用いられたのが、先の『芥子園画伝』である。幕末の文人画家中村竹洞は「文人画は画にあらず。賞する所韻致にあり。故に筆(ふで)拙(つたな)しといへども、韻致高尚なれば、是を解悟の人とす」「文人画を学ぶ者ハ、書を読まざれバ、其奥旨に達しがたし」(『文画誘掖』)といっている。「芥子園画伝をよむ」の授業は、この『芥子園画伝』を読みつつ、日本の文人画について考えようというものである。特に幕末維新期に京都で活躍した日根対山について社会史的な観点から共同研究のような形で授業を行う。
 今、私の手元にまだ公開されていない対山の書簡が、断簡を含めて180点ほどある。この書簡を読んでいると当時の京都の文人画家の具体的な生活が分かってくる。日高鉄翁が長崎から上京することで上方で文人画が流行する問題、現代では書家として有名な貫名海屋を中心とした儒者たちの文化圏のこと、岡田半江・小田海遷・山本海逸・中村竹洞などの画家との交渉のこと、池内陶所(大学)・梁川星巌・頼三樹三郎・藤本鉄石などいわゆる勤皇の志士のこと、蘭医新宮涼庭や広瀬元恭との知識人としての付き合いのこと、島津久光・近衛忠煕など大名や貴族からの絵の潤筆依頼と潤筆料や札物のこと、上方での明・清画の人気とその市場の成立や売買価格の変動のこと、絵筆や絵絹などの調達のことなど、きわめて多くの話題が含まれている。1894年の蛤御門の変のあと、焼け果てた京都の町を対山があてもなく歩いていると、大きな桶に蓋をしたのがあって、何気なくその蓋を取ると中には死者の首が溢れんばかりに入っていたなどと手紙に書かれていると、何かすごい迫力を感じる。
 この授業の形態について、上に共同研究のような形と書いたが、私たちの共同の課題は、この日根対山の手紙を読むというもので、この課題に対して授業の参加者がお互いに協力し合うという形を取る。いわばワーク・ショップのような形である。その手紙の中には上に見たような様々な問題がつまっている。教師である私にはこれらの問題のすべてをカバーできない。参加学生たちが、それぞれ得意とする分野から協力してもらいたいのである。そうすることによって教える者と教えられる者とがうねりながら転倒し合うダイナミックな学びの空間、イリイチ風に言えばコンヴィヴィアルな授業にしたいのである。
 私は和光大学で説教節や幸若舞をとりあげたときにもこのような授業形態をとってきた。当時説教節や幸若舞の注釈は日本にはまだなかった。今回も初めて公開される資料をとりあげる。学生たちはこの授業に参加して、既知のものと未知のものの臨界点に身を置き、未知のものが既知のものに転じる発見の喜びと興奮とを経験してほしい。
 この授業は表現学部文学科と同学部芸術学科で同時に開講される。東洋の絵画は、一般に絵画の傍らに漢詩が書かれ、署名の下には落款印が押され、時には後の時代にこれを鑑賞した者が鑑記を記し、さらに雅印を押したりする。ということは、それは美術でもあるが文学でもあると言え、鑑記の問題などを考えるとドキュメントとさえ言えるかも知れない。現在の一つの文化領域の境界を固定して考えるわけにはいかない。美術でもあり文学でもあるような境界領域の研究も必要なのだ。私たちは文化の諸領域の相互関係や相互依存の問題に無関心ではいられないのである。 
余田 真也(よでん・しんや)余田真也。オリエンテーションにて。
 1965年生まれ。大阪と兵庫で子供時代を過ごし、以後あちこち転々として、1995年度より和光大学のある東京都町田市に在住。
 専門研究領域はアメリカ文学。いろいろ目移りする質なので、研究者としてはまだまだ腰が定まっていませんが、当面は特定の作家や特定の時代にあまりとらわれずに試行錯誤を続けながら、自分なりの文芸想像地図の作成を夢見たいと思います。
 主流の価値観に対する違和感のクリエイティヴな言語表現が文学的な営みだとすれば、そうした営みが紡ぎ出す夢のフィールドだけが、生きるに値する未来ではないかという思いをますます強めています。

私のお薦め授業
現代アメリカ文学研究」(ゼミナール)
 主に20世紀のアメリカ小説(の翻訳)や研究論文・評論を読み、文芸に対する感度に磨きをかけると同時に、共通の題材に対する議論を通じて、説得的に自己を表現することを心がけてもらいます。近年は、北米マジカル・リアリズムの系譜に連なる作家・作品を取り上げています。またパソコンを使った情報収集や調査報告も進めています。
「現代英語文学2(講読)」
 現代アメリカ文学を原語で地道に、禁欲的に読むという修行に似た授業。辞書を引き引き英語と格闘するという苦労が、読み終えたときの達成感となって報われるでしょう。
「英米文学序章」(講義)
 英米文学の学習・研究に必要な基礎知識や方法・視点を提供する入門的な授業。代表的な作家・作品をジャンルあるいはテーマ別に紹介し(今年度は「怪奇」や「驚異」と関連の深い幻想文学)、文学以外の文化・社会現象などとも関係づけながら講義しています。