韓国でお世話になる金仁珠先生が和光にいらっしゃいました。(2000.11.15)

金仁珠先生    金仁珠先生と天野みどり


2002.3.9
韓国フィールドワーク、2002年度に開講します。
 韓国フィールドワーク、2002年度に開講します。もうすぐですね。このコラムも担当者の都合で長らく休止していましたが、また再開します。
 ちょうど休止していた間、日本と韓国の交流を妨げるようないろいろな問題が起きました。例えば、歴史教科書問題、そして小泉首相の靖国神社公式参拝問題。こうした問題のために文化交流のための子供たちの韓国訪問がキャンセルになるなど、残念な事態があいつぎました。
 この授業は「ことばの採集」という科目名で、ことばそのものを深く考察するのが目的ですが、ことばがどのように働き、どのように用いられているのかを考えるのに、その地域の歴史や社会のしくみや人々の生活・考え方など、様々なことを知らなければ深い理解に到達することはできないでしょう。また、フィールドワークによって学生たちの交流が実りあるものになるには、お互いに、とりわけ出かけていく私たちが、相手のことについてきちんと勉強しておく必要があるでしょう。フィールドワークは7月に出発しますが、それまでの毎週水曜日の2限目、ことばだけではなく、できるだけいろいろな問題について勉強し、7月のフィールドワークが充実したものとなるようにしたいと思います。
 次回から、このコラムで具体的なフィールドワークの予定や、授業で勉強することについて報告していきたいと思います。


2000.11.29
韓国も日本も若い人は待遇表現が苦手?
 11月15日の「日本語学序説」の授業は、韓国の情報産業大学の金仁珠先生に来ていただき、お話を伺いました。
 みんな、ハングルをはじめて見たという人がほとんどだったのに、自分の名前を書けた人もいましたよね。
 お話の中で何が心に残ったでしょうか? お話の中身よりも、金先生がとてもすてきだったことが一番印象に残ったりして…。

 授業を受けていない人にも、少し中身を伝えたいので、私が心に残ったことを書いてみます。
 一番おもしろかったのは、最後に受講生が質問したこと「韓国語でも、若い人に敬語の誤った使い方が見られるということはありますか」に対する答え。若い人によく見られる誤りというものが、やっぱりあるということでしたね。それを、一般の人は、「敬語を使うべきところに正しく使っていない誤り」とするだけだけれど、金先生は、そうではない、と言っていました。若い人は、目の前にいない話題の人物に対するよりも、話をしている相手に対して待遇表現を使おうとするあまり、従来の待遇表現の規範からは逸脱してしまっているのであって、話をしている相手に対する待遇を、より重視して、ちゃんとやろうという意識の現れだ、というように言っていました。とてもおもしろかったです。なぜなら、受講生の質問にもあったように、日本語でも若い人に待遇表現のいわゆる誤りが多く見られ、それは、韓国語と同じ傾向、つまり、話の相手重視の傾向と見られる誤り(もしかしたら変化)だからなんです。どうです? 待遇表現の本質に迫る共通点ではないですか? 
 こんなふうに、日本語と他の言語について、それぞれにいままさに用いられている新しい言い方を調査して対照し、そこに潜むことばの本質的な普遍性をさぐるなんていうこともおもしろいですね。逆に、同じように見えても実は異なるものがみつかるかもしれません。つまり、それぞれの言語の個別性が見えてくるかもしれないのです。いずれにしても、日本語だけを見ているよりも、より深く日本語についての理解が深まるはず。2002年の「韓国フィールドワーク」で調査してみたいテーマの一つです。

2000.11.14
言語文化研究会の講演会のお知らせ
 言語文化研究会主催による、金仁珠氏の講演会を開催いたしますので、ふるってご参加ください。

 日時:11月15日(水) 17:00〜19:00
 場所:A棟7階文学科資料室(S708)
 演題:「日本語の待遇表現のしくみー専用形式によらない待遇表現」

 ★学生の皆さん、どうぞ聴きにいらしてください。

2000.11.9
日本語は敬語が発達している特殊な言語か

 「先生、メールをご利用してますか?」
 「雨が降ってまいりました」
 日本語は尊敬語やら丁寧語やら実にいろいろな種類の敬語があって、特殊な言語だなどと言われることがあります。
 でも、特殊だ、というのは何と比べているのでしょう?
 世界には言語が三千あるとも五千あるとも言われています。日本語が特殊だと言われる場合、欧米の言語、主として英語がその比較の対象として、漠然と念頭に置かれているということがほとんどです。
 さて、実は韓国語にも日本語のようにさまざまな敬語の形式があります。
 日本語と韓国語の敬語にはどのような共通点があるのでしょう? 相違点は? 結局、敬語とはどのようなしくみなのでしょう?…
 以前、この韓国フィールドワークのコラムでご意見をいただいた金仁珠先生が、11月15日(水)和光大学にいらっしゃいます。金仁珠先生は、こうした敬語などの待遇表現の研究がご専門です。どうぞ皆さん、お話を聞きに来て下さい
  11月15日の予定です。

   三限 「日本語学序説」の授業内で金仁珠先生にお話しいただく。
         韓国語はどういう言語?
         韓国では日本語はどのようにとらえられている?
         外国人の日本語学習は、どのようになされている?などなどいろいろな質問を。
 
  17:00〜言語文化研究会
         「待遇表現のしくみ−専用形式によらない待遇表現」
         講師:金仁珠さん

          ☆学生の積極的な参加を歓迎いたします!!!
           (場所は決まり次第示します)

 ところで、今回のコラムの冒頭の2つの会話文、一般に敬語の誤用例と言われるものですが、皆さん、違和感がありましたか?なぜ誤用と言われるのか、わかります?

2000.10.3
韓国の研究者による日本語の考察…ポライトネス
 9月30日、筑波大学で日本語の学会がありました。実はその研究発表者のお一人に、このホームページにも登場してくださった、金仁珠先生がいました。金仁珠先生の発表、大変面白かったので、紹介します。
 タイトルは「『大鏡』の待遇表現−待遇主体の意図による表現効果」です。 『大鏡』は平安後期に作られた歴史物語です。藤原道長の絶頂期を現在時として三人の登場人物が176年の歴史をさかのぼって語る、それを作者が聞き手として記述するというかたちの物語です。
 この中にはたくさんの「敬語」表現がでてきて、多くの研究者がそれらの言語形式の使用を<地位><身分>という観点から記述してきました。金仁珠先生はその研究のありかたに疑問を投げかけています。現代にも「敬語」と言われる言語形式はたくさんあります。でも、それらが使われる時には単に相手の<地位><身分>だけではなく、様々な要因がからんでいますよね。例えば同じ客でも、うるさそうな人だったら「少々お待ちいただけますでしょうか」と言うけれど、なんだか親しみを感じてくれているような人だったら、かえってべたべたの敬語を使うと遠ざけるような感じがして「ちょっと待ってくださる?」ぐらいにする…などという経験は誰でもしているはずです。
 金仁珠先生は、それは平安時代だって同じこと、と考えています。その例として、『大鏡』を考察して、「道長すじ」の人間か「ライバル側」か、という要因だとか、「頼み」「恩恵」の場面かどうかとか、「公」か「私」か、話題がどのようなものかなど様々な要因が働いているとするのです。
 もう一つ、金仁珠先生はこれまでの研究者が考察してきた「敬語」という言語形式以外でも、同じような表現効果を持つということを明らかにしました。今回の発表では、「実名使用」です。この時代、人物の呼称は「東三条殿」など間接的になされることが一般的だったのに、『大鏡』の中には「斉信」のように実名がストレートに使われているところもあります。そういう箇所をすべて吟味してみると、いずれも、非常に強く訴えたいことがらの描写だとか、他との違いを際立たせたいところだとかいうことが明らかだということです。つまり、そこには、「実名」を使用した表現者が、そう描写される人物に対する尊敬だとか何だとかの気持ちを表しているというよ
りも、表現を受け取る側(つまり読み手)に対するメッセージを表しているというわけです。
 現代語でもいわゆる「敬語」を使わなくても、<相手の目を見て熱心にうなずく>とか<「なるほど〜」としきりに言う>とか<「あはは」と笑わないで「おほほ」と笑う>など、いろいろなやり方で表現を受け取る側に対するメッセージを表しますね。いつの時代も、今この言語空間を共にする相手に対する待遇(ポライトネス)というものはさまざまに工夫され、重要視されている、ということです。
 そしてそれは、どの言語にとっても、でしょう。今回の発表は日本語の『大鏡』についてのものでしたが、おそらく、金仁珠先生は現代韓国語についてもお考えがあるはず。伺ってみたいものです。
 さて、韓国フィールドワークでは、このように、「日本語を母語としない人による日本語研究」を享受するということもテーマの一つにあります。日本語は日本語を母語とする人にしか分析できないと思ったら大間違い。多くの優れた研究が、日本語を外から眺めることによって生まれているということを知ってほしいと思います。

2000.6.27
こんなことを知りたい
T韓国のことばは韓国語?(その一)
上の説明では、「韓国語と日本語の対照」というように、「韓国語」という呼び名を用いました。一方で「朝鮮語」という呼び名もあります。「韓国語」と「朝鮮語」はどう違うのでしょうか。あるいは他の呼び名も耳にしますが…。
1997年発行の『月刊言語』(26巻11号)は「アジアの言語事情」という特集を組んでいます。その中で「韓国」という項を執筆している塩田今日子さんによると、次のような状況だということです。
日本では近代にはいって韓語と呼んだこともあったけれども、主に朝鮮語と呼んできました。ところが現代ではそれに加えて韓国語、コリア語、韓国・朝鮮語、ハングルなどの様々な呼び名で呼ばれています。
韓国ではハングゴあるいはハングンマル(韓国語)と呼んだり、ウリマル(我々のことば)と呼んだりしますが、同じ言語のことを朝鮮民主主義人民共和国ではチョソノあるいはチョソンマル(朝鮮語)と呼んでいるそうです。
そのため、「朝鮮語」と言うと、北の言語であるかのような印象を与え、韓国人の中にもその名を嫌う傾向があるために、韓国との交流が盛んになってから先のような様々な呼び名が用いられるようになったということです。
ところが、「韓国語」と言ってしまうと、北を除外した言語名になってしまうし、「ハングル」というのはそもそも文字の名前ですから、それを言語名にするのもおかしい。
というわけで、塩田さんは何語と呼ぶべきなのかは、実は大変難しい問題であると述べています。
さて、この問題、もう少しいろいろな人の意見を聞いてみたいと思います。私たちのフィールドワークで講義をしてくださることになっている金仁珠先生が、2000年3月から1年間の予定で、筑波大学文芸・言語学系の客員研究員として日本に滞在していらっしゃいます。さっそく、金仁珠先生に質問してみましょう。

U韓国のことばは韓国語?(その二)
さて、メールで金仁珠先生に質問したところ、なんと次の日に折り返して答えてくださいました。以下に紹介いたします。

(1)「韓国語」と呼ぶ場合は「北朝鮮」の立場についての無配慮と「事実ではない」という二つの問題があります。「朝鮮語」と呼ぶ場合もちょうど同じことが言えます。
(2)二つに分かれている事情をよく知らないひと、国名とは違ってことばの呼び名だから統一して呼びたいと思うひと、あるいはあの韓半島のひとは「朝鮮人」だと思っているひとなどは「朝鮮語」でよいと思うかもしれません。しかし、「朝鮮」という国は今はないということと、かつての「朝鮮人」の語感を知っている人が嫌うという問題が残ります。
(3)「コリア語」と呼ぶ場合はよいかもも知れないと思っていますが…すっきりしない何かがあります。中国語は「チャイナ語」ではないですよね。
(4)「ハングル語」は考える必要もないと思います。

さらに、金仁珠先生は次のようなアドバイスもしてくださいました。

(5)この問題、政治…民族…歴史的な背景…などが絡み合っています。
(6)学術的にはわりとシンプル。両方を指していればどうでもいいと。
(7)だれがどこでだれに使うかによって違って…ひとつに決める必要がないのかも知れません。というより今の状況ではあえて曖昧にしておいた方がへんな誤解を招かないですむのかも。方策の問題になっちゃいますね。ただし、この場合はそれぞれのニュアンスをよく知って使いこなすというのが前提条件になりますね。
(8)【韓国にみんなが行ったとき】一般的には「朝鮮語」は日韓の友好に役に立ちません。というより、誤解を招く可能性があります。ことばに敏感、あるいは「事実じゃない」のにそう呼びたくない…ということでなければ、「韓国語」で呼んだほうが対話の妨げにならないと思います。「コリア語」でもよいけれども、この名称になじみがない人から質問されるでしょう。☆向こうにあわせるかどうかはおまかせ☆…「敬語」の問題に酷似。
(9)もう一つ。今の「北朝鮮」のことばと「韓国」のことばは語彙、運用の面では大きな隔たりがあると指摘されています。統一しないでずっとこのまま行くともっと隔たりが生じる可能性があります。そうなったらかえって「韓国語」のままでよいかも。…でも今のところはそこらへんは判断しがたいのです。

こんなにも詳しくお答えいただき、金仁珠先生、本当にありがとうございました! 先生のおかげで、この問題の中にも、言語の様々な側面が見えているということがはっきりしました。
例えば、(5)(9)について。言語は自然に変化していくものですが、そこに政治などの人為的な要素が働くこともあります。
また、(6)(7)について。言語は、どのような形式を選択して用いるかによって、その人の属性や主義・主張を表明するという機能を持っています。意味する中身はほとんど同じでも、それをどの形式で表現するかで自分がどういう人間かを示すという機能です。現実社会に身を置いて生きていく個々の人間は、様々に多様な形式を使い分けています。同じ一人の人間でも、相手・話題・場面などによって柔軟に使い分けているのです。他方、学術的には、同じ中身のものを統一して紛れなく指し示さなければならないという必要があります。つまり、例えばこの場合には、政治的区分とは関わりなく、言語学上 同一言語であるとみなされるものは、一つの名称で紛れなく呼ぶということが、学術的には必要なことであって、それさえ満たしていれば、実際に用いられる名称は何でもかまわない、ということです。ちなみに亀井孝・河野六郎・千野栄一(和光大学の学長です!)編著の『言語学大辞典』(1989年三省堂)では、「一般名称としての言語名として用いており、特定の国語をさすものではない」と明記して「朝鮮語」という名称が用いられています。
また、(8)について。金仁珠先生は「敬語」の問題に酷似していると指摘していらっしゃいます。この様々な名称は単なるバリエーションではなく、それを受け取った相手が誤解するとか不快に思うとかいった可能性をもったものなのです。相手とのコミュニケーションをどのように円滑に行うかを考慮すべきであることを、的確にアドバイスしてくださったように思います。
この授業では、朝鮮半島だけではなく、周辺諸島、中国東北地方の南部、あるいは日本、ロシア、アメリカでも話されている同一の言語を考察対象にしたいのですが、それを「朝鮮語」と呼ぶと、北朝鮮の国語という意味での「朝鮮語」と同じになってしまうので、「コリア語」を用いたいと思います。ただし、フィールドワークの対象は「韓国で話されている『コリア語』」ということになります。それが金仁珠先生の(9)にあるように他地域のことばとだいぶ異なってきているとすれば、
「韓国語(=韓国で話されている「コリア語」)」という名称で呼ぶのも、学術上、妥当であるのかもしれません。
さて、言語名についての話、いかがでしたか。この問題から、さらに、例えばひとの名前はどうか…といったように、あれこれ自由に考えてみてくださいね。

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