教職員から |  2011/12/09


12月もなかばになりました。
私が所属する表現学部の総合文化学科では、
卒業年次生の卒業論文・卒業制作の提出締め切り日が迫っています。
「ねぼう」とか「様式の不備」とかの理由で提出できないことのないように、
というのはもちろんですが、
「プリンターの故障」や「交通機関の遅延」といった理由で
提出に間に合わなくなることがないように、余裕のある準備をしてほしいものです。
私自身が大学に提出した卒業論文は、
今はもう、「捨てられないけど役に立たないもの」を詰め込んだ段ボール箱に入って、
押し入れの奥で眠っています。それを書いていた遠い昔のことです。
論文に取り上げた、歴史上のある人物の経歴で、
どうしても結論の出せない問題にぶつかって行き詰まりました。
いろいろ調べた上で、何日も悩みました。
それがある日、市営バスに乗って席に座り街の景色を眺めていましたら、ふと、
「解決できない問題は解決できないと書けば良いのだ」
という単純なことに思い至りました。
つまり「わからない」ことを「わからない」と書く開き直りに、その時たどり着いたのです。
今では、卒業論文の中身よりも、「自分の能力の限界を正直にさらしてもいいじゃないか」
というスタンスを獲得したことこそが、卒論の貴重な経験として記憶に残っています。
自分の卒論を思い返すとき、なんだか、バスの窓から見ていた街の風景がついてくるのです。

数年前の12月、和光大学の学バスの中で、2人の4年生が会話をしていました。
その一人の発言。

   卒論ってしんどくて、早く終わらせたいけど、
   でも、大学に入ってから今がいちばん、生きてる、って感じ。

教員である私にとって、それは嬉しい言葉でした。
自分の能力のありったけを出して、何かを完成させようとするというのは、すばらしい経験です。

現在卒論の追い込みにかかっている皆さんも
その発言者のような感覚を経験中、だといいのですが。

深沢 眞二

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