学長のコトバ |  2011/04/09


4月4日(月)に行われた入学登録にて、伊東達夫学長より新入生へ向けてメッセージが贈られました。
和光大学のこと、初代学長・梅根悟先生のことなど、皆さんにも知っていただきたいことが詰まったお話でしたので、一部抜粋してご紹介します。
 新入生の皆さん、本日は入学おめでとうございます。
 教職員一同、心より、歓迎いたします。和光大学は、教員、職員だけが大学を作るものだとは考えておりません。学生の皆さん、教員、職員がいっしょになって作っています。それぞれがそれぞれの役割の中で大学作りに参加する。この考えは、和光大学にとっては大切な考えです。和光大学という小さいですが、研究活動や学習活動を行うひとつの社会の一員であるということを忘れないでいただきたいと思います。
 皆さんは、今日から大学生になったわけですが、和光大学を選んだということについては、ひとりひとりの意思であり、選ぶということに責任を持ってもらわなければなりません。今ここに並んでいる皆さんひとりひとりに、平等に大学の門は開かれています。門が開かれていると言いましたが、和光大学には門はありません。誰もが自由に入ってよろしい、というのが考え方です。自由に入るということは、入ることについて、責任を持って入って下さいね、ということなんです。俗に「ただより高いものはない。」といいますが、自由ほど、重い責任はありません。 

 創立者の梅根悟先生の話をしたいと思います。
 梅根先生は、日露戦争の始まる前の年、1903年、明治36年9月12日に、福岡県嘉穂郡(かほぐん)宮野村の「油屋」という雑貨屋さんの長男として生まれました。それから現在の筑波大学の前身である東京文理科大学教育学科に入学して、ルソーや、ペスタロッチの教育思想を中心に近世教育思想史を学びました。それが、先生の教育理念の基本になっていると思います。特に、これまでの型にはまった教育ではなく、個性を大切にする教育、人間の内部にある可能性を引き出す教育について研究されました。また、大学の歴史や大学とは何かという問題意識をとおして、ほんとうの大学の在り方を模索されました。大学を卒業して、埼玉県の小学校教頭、中学校校長、さらに川口市の助役を務めました。それが44歳の時です。新しい憲法が施行された年でもあります。その後、東京教育大学の教育学部長などをなされて、1966年、昭和41年4月、和光大学を作ることに参加しました。
 このように見ますと、和光大学の中に、先生の理想を詰め込んだと言ってもいいでしょう。理想としてあげていることは、自由な研究と学習の共同体です。君たちの側から考えれば、「学習の自由」です。高校までは決められた時間割に沿って、決められたとおりに勉強してきました。しかし大学は、学習について強制されることはありません。何を学習するにもほんとうに自分が学びたいことを学んでいこうというものです。クラブやアルバイトも学生生活のひとつです。それも、大学生に与えられた自由の一部です。クラブ活動やアルバイトに明け暮れて、勉強がおろそかになってはいけませんが、良い方向に向けば、社会や人生を考える大きな材料になります。
 このような考えから、和光大学は、自由な学習ができるように配慮したい、科目をできるだけ自由に選択して欲しい、と考えています。そのような学習の機会をどのように使うかは、皆さんの自由と自主的な判断です。和光大学は、皆さんの「学び」に対して環境を提供するところであると思っています。大学とは、研究の場、学習の場、資格を取る場、サークルなど学生生活を楽しむ場であります。さらに言えば、皆さんの人間としての魅力を高める場であり、どのような人間になるかについて考える場でもあります。

 皆さんは、今日から、和光大学という自由な研究と学習の場を作る一員です。
 今日から始まる大学生活は、皆さんにとって、長い人生のうちでかけ替えのない貴重な時間であります。もっとも楽しい4年間になるように大切にしっかりと使っていただきたい。その中で、自分を高める努力をしましょう。そして皆さんの内に秘めた人間力を鍛えて下さい。

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