教職員から |  2009/08/19


こんにちは。経済学科の加藤巌です。
2009年4月から、常夏の島マレーシア・ボルネオ島で暮らしています。今日は「タムー」と呼ばれる「青空市場」についてご紹介しましょう。
ボルネオ島のサバ州ではあちらこちらで「青空市場」=「タムー(TAMU)」が開催されています。とくに西海岸一帯で盛んなようです。ちなみに開催曜日は場所によって異なります。

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トゥアラン村の青空市(タムー)は、大勢の人で賑わっていました。


ある晴れた日曜日、早朝から「タムー」の一つを見学に行きました。場所は、私の住むコタキナバルから34kmほど北にあるトゥアラン(Tuaran)村です。事前に読んだガイドブックによるとトゥアランは鄙びた小さな村とのことだったので、こじんまりした青空市場を想像していました。

行ってみて、驚きました。村へ通じる道路は、あちらこちらに水牛が寝転んでいるような田舎道だったのですが、村の入口に向けて車の渋滞が始まり、やっと村の中に入ったと思ったら、ざっと見て数百台という車がいたるところに駐車していました。私はようやく見つけた道路わきのスペースに無理やり駐車するしかありませんでした(このことが後で、"不幸"ながらも"面白い"体験をもたらすのですが、この話は後日ご紹介しましょう)。

車を降りて、青空市場へ入っていくと、人・人・人の大賑わいでした。このタムーでは地面にビニールシートやござ、新聞紙、板切れなどを広げ、その上に商品を置いていました。売られているのは大半が野菜や果物などの食料品でした。見るからに近郊の畑で採れたようなキュウリやナス、トウモロコシ、生姜、その他の葉物野菜、バナナ、マンゴー、パパイヤ、パイナップル、ココヤシなどが売られていました。

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路面に広げたビニールシートの上に野菜や果物を並べて売っています。


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ナスと地元の野菜(サユールマニス)だけを売るお店です。


一方、海の幸も豊富に売買されていました。イワシに似た魚や太刀魚、ハリセンボン、エビ、牡蠣、小魚の乾物などが売られていました。これらは、よほど新鮮な魚介類に違いありません。タムーは路面で商売をしていますから、冷蔵庫はないのです。

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さまざまな魚介類、乾物なども販売しています。


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日本で見るような魚も熱帯魚も売られています。


毎週日曜日にタムーの開催されるトゥアラン村は、西に海、東に山を見る絶妙の場所にあります。「海の民」と「山の民」が物々交換をしやすい場所ということができます。

昔、聞いた話では、「山の民」と「海の民」が物々交換の場所として選ぶのは、海からも山からも通いやすい、見晴らしの良い野原だったそうです。野原に目印となるような木を見つけ、その木の根元で物々交換をしたそうです。ただし、お互いに接触することはなく、例えば、山の民が「米や野菜などの入った袋」を目印の木の根元に置き、一旦、森に戻ります。といっても本当に森の中に帰るのではなく、野原の端から、木の根元をじっと見張っているのだそうです。

ややすると、今度は海の民が「魚や塩の入った袋」を現われ、木の根元にやって来て、自分の袋を置くと、山の民が残した袋を持って海へ戻っていくのです。もちろん、その後で山の民が再び、木の根元へやって来て、海の民の置いた袋を持ち帰るわけです
(この話は、鶴見良行先生の著作の中で読んだ記憶があるのですが、もし誤りがあればごめんなさい)。

こうした非接触型の物々交換が徐々に(現在のような、直接取り引きする)タムーに育っていったのでしょうね。

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トゥアラン村のタムーではハリセンボンも売られていました。
(ヒレに斑点がないのでハリセンボンだと思います)



ここでタムーを知るための入門書を紹介しましょう。書名は以下のとおりです。
『The Tamu Sabah's Native Market』
(Chong Han San & Low Ai Fuah著/Opus Publications/2008年)


この本によれば、トゥアラン村はロトゥド・ドゥスン(Lotud Dusun)族の居住地だそうですが、そこに海の民である「バジャウ族」や「スルー族」が魚や乾物などの海産物を持ち寄り、かつ、「カダサンドゥスン族」が米や野菜や果物、木製品といった物産を持ち寄ることで青空市場が成立しているそうです(ただし、トゥアラン村のタムーは海の民が中心で、もっと内陸部にあるタンパルリ村のタムーは山の民が中心になっているそうです)。

同書には、タムーの歴史についても面白い話が掲載されています。
それによると「昔から、海の民は漁民であると同時に海賊でもあった。一方、山の民も農耕を行いつつも戦いになると敵の首を切り落とす首狩りの習慣を持っていた。この両者が物々交換をする際には、(互いに警戒して)完全武装していた。

やがて、両者の長老たちが話し合い、物々交換のための(非戦闘)中立地帯を設定することになった。この中立地帯を設けるにあたっては、厳かな儀式が行われ、誓約の言葉が長老たちによって交わされた。誓約の言葉は石碑に刻まれ、その石碑には生け贄の水牛の血が振りかけられた。儀式では石碑に精霊が宿るよう祈りをささげた。その後に中立地帯(青空市場)で卑怯なふるまいをしたり、(市場の)平和を乱したりする人間は、石碑の生霊に呪われると考えられていた」そうです。


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トゥアラン村にかかる吊橋です。向こう側に村人たちの住居が見えます。
吊橋のこちら側(手前)でタムーが開かれています。



実は、大都会のコタキナバルでも毎週日曜日には市内の一角を歩行者天国にして「サンデーマーケット」が行われます。売っているのは、野菜や果物などの生鮮食料品から布地(バテッィク)やさまざまな日用品、竹細工のかご、猫やウサギなどのペットなど雑多な物品です。一旦、マーケットに入ると渋谷の雑踏を思い出させるほど、多くの人で賑わっています。また、同じくコタキナバルでは毎夜、海岸沿いの駐車場を利用して「屋台村」のような「ナイトマーケット」が開かれます。

こうした観光客にも身近な「サンデーマーケット」や「ナイトマーケット」も伝統的なタムーの一形態、ないしは、タムーが発展したものと考えられています(前述の『The Tamu』より)。

どうぞ、マレーシアにいらした際には地元のマーケットに出掛けてみてください。そこでは、顔つきや言葉の異なる人たちが自分たちの物産を昔ながらのやり方で販売しています。そんな時、今日の「タムーのはなし」を思い出していただければ幸いです。

★この情報は経済学科の加藤巌先生から寄せられました。

★「加藤巌先生のボルネオ便り3」はこちら
http://www.wako.ac.jp/blog/index_univ/1355.html

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